兵庫陶芸美術館:戦後復興期の丹波の作家たち 3月23日より

「戦後復興期の丹波の作家たち -市野弘之・生田和孝・大上昇・市野信水」展


平安末期に誕生した丹波焼は、現在に至るまで800年を超えて、時代の要請に即したやきものを連綿と作り続けてきました。江戸後期から数多く作られていた徳利は、ガラス瓶が普及する明治末期まで、丹波の主力製品として量産されました。その後、昭和初期には植木鉢の生産量が増え、1937(昭和12)年には石膏型や機械ロクロを用いる技術革新を行い、戦時中には、硫酸瓶や軍用の薬品瓶が大量に生産されました。
戦後は日用品が不足し、丹波から水甕やすり鉢などを、京阪神およびその周辺地域へ出荷しました。しかし1950(昭和25)年前後には、人々に日用品が行き渡ります。不況と重なったその時期に、確固たる供給システムを持たなかった丹波は、販売不振におちいり低迷期を迎えました。
この間に本格的に作陶をはじめた、丹波焼の窯元生まれの市野弘之(1924-)・大上昇(1929-2002)・初代市野信水(1932-1997)は、丹波焼の伝統的な技術を受け継ぎながら、自身の作風をそれぞれに確立していきました。
また同時期、民藝運動を提唱した柳宗悦らが、伝統的な製作技法や窯場が残る窯業地として、丹波を評価しました。そのような丹波に興味を持ち、1956(昭和31)年にこの地に移り住んだ作家に、鳥取県出身の生田和孝(1927-1982)がいます。生田は、それまでの丹波焼にはなかった糠釉、そして鎬や面取などの装飾技法を持ち込み、丹波焼に新しい風を吹き込みました。
本展では、戦後の低迷期を乗り越えて、丹波焼の復興期に寄与し、現代の丹波焼の礎を築いた4人の作家をご紹介します。 

作品(写真右上から、撮影:加藤成文
・市野弘之「大皿青焱」1971(昭和46)年 兵庫陶芸美術館
・生田和孝「飴釉鎬大鉢」1980(昭和55)年 兵庫陶芸美術館
・初代市野信水「茶碗」1991(平成3)年頃 個人蔵
・大上昇「蒼灰釉瓶」1966(昭和41)年 個人蔵

 

会 期
平成25年3月23日(土)~6月23日(日)(81日間)
休館日:月曜日
(ただし4月29日(月・祝)、5月6日(月・祝)は開館。5月7日(火)は休館。)

会 場
兵庫陶芸美術館 展示室3

主 催
兵庫陶芸美術館、丹波新聞社

出品点数
27件

関連事業
ギャラリートーク 計6回
4月7日(日)、4月21日(日)、5月5日(日)、5月19日(日)、6月2日(日)、
6月16日(日)
※ いずれも11時15分から30分程度

連絡先
兵庫陶芸美術館
〒669-2135 兵庫県篠山市今田町上立杭4
TEL 079-597-3961 / FAX 079-597-3967