コラム
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自然農法・福岡正信さんが死去
四国・愛媛で自然農法を提唱し日本の有機農業の発展に大きな影響力を及ぼした福岡正信氏が亡くなられた。95歳だった。
福岡さんは「自然には一切の人間に必要なものがすでに存在し、人間があれやこれや考えずとも自然の理を知り、それに従って生きることが本来の幸せである。」と考えられた。
BOOK紹介
『自然農法 わら一本の革命』福岡正信
世界に反響「わら一本の革命」
彼の農法は独特なもので、無農薬(農薬は使用しない)、不耕起(畑を耕さない。)、無肥料(肥料を与えない)、無除草(草をとらない)ことを原則とした。田植えもせず、豆科のクローバーなどを乾いた田んぼに撒き、それを肥料分とし、種籾を粘土に包んでじかに田んぼに撒いて、田植え機も使うことなしに稲を育て、稲刈り前に麦を撒いて、稲刈り時に足で踏みつけながら麦を植えつけるという一切無用の農法を考案した。
福岡さんは1913年、愛媛県・伊予市の生まれ。岐阜高等農林学校を卒業後、横浜税関に勤務した。20代の頃、病気を患い、闘病生活、どうにか回復し健康をとりもどすが、闘病生活の中で生きることのむなしさを感じ、仕事もしないでしばらく放浪生活をする。ある日、公園で寝ている時、朝方、公園の中からさっと、鳥が飛び立つのを見て、「あー一切は無で何も必要ない」と感じ、全ての重苦しい重いから解放されたという。
「人間はあれも必要、これも必要と悩み苦しむが実は世界には人間に必要なものの一切がすでに存在している。」そう感じた福岡さんは突如として、愛媛に帰郷し家の農業を継いで、自分の考えを農業の中で実践することを始める。ところが一切無用の農業を実践するということは、畑や田んぼは放任状態、親から受け継いだミカン園のみかんの木をほとんど枯らしてしまう。彼の一切無用の哲学の言動と行動は近所の人からも笑いものになり、家族も大変苦しんだそうだ。それでも自分の哲学を貫き、「有機農業」という言葉も存在しない時代から「農薬」を否定し、人々に嘲笑されることに耐え、種籾を粘土に包んで「粘土団子」を作り、田んぼを耕さずにじかに撒き稲を育てるという独特のやり方を考え出した。
しばらくして、彼の農法に多くの試験場の農業専門家が関心を持ち、大勢の人々が福岡さんの田んぼの調査に来るようにもなる。1975年に著書「わら一本の革命」を出版。本に書かれている彼の農法と一切無用の哲学は大きな反響を呼び、本は世界各国の言語に訳され出版され、彼の自然農園の山には国内を始め、世界各地の若者が自然農法を学ぼうと訪れるようになる。アフリカ、アジア各地にも呼ばれ、果樹や野菜など約100種類の種を混ぜた「粘土団子」を大地に振りまき、貧困地域に食糧を生み出す活動にも晩年まで活躍する。アジアのノーベル賞といわれるフィリピンのマグサイサイ賞やインド最高栄誉賞を受賞、日本有機農業研究会の設立にも関わり、有機農家にも有機農業技術発展の中で多くの示唆を与えた。
「出直してきなさい」と言われた
福岡さんに出会ったのは大学生の時だ。「わら一本の革命」を読んで感銘を受け。福岡さんの連絡先を調べ電話したら、「本を読んだら全てわかるから、出会う必要はない。」と断られた。それでも自然農法ってどんなだろうと思い、本人の承諾なしに勝手に訪ねて行った。近所の人に聞いて、自然農園を見つけた。山には木々の間にミカンやら、梨やらが植わっていて、林の中や道沿いに大根やらハクサイらしき野菜ができていた。今まで見たことない不思議な風景だった。福岡さんは不在だったので、再度、訪ねて話を聞こうと思った。2回目に訪ねた時は夕方で雨がざあざあ降っていた。もしかしたら雨だし、研修部屋に泊めてくれるのではという甘い期待を持ちながら連絡なしで福岡さんを訪ねた。家に行ったら福岡さんが出てきて、話を聞いてくれた。自分の思いのたけを喋った。「人類は環境を破壊して大変なことになっている。自然農法は人類を救う解決の糸口になる。」うんぬんと長々と話をした。福岡さんはじっと正座して私の話を聞き、そして答えた。「貴方の言っていることはもっともかもしれない。でも貴方は肝心なことが解っていない。知ることと解ることは違います。貴方は知っているけど解っていません。出直してきなさい」その言葉に何かわからず強いショックを受けてシトシト雨が降る真っ暗な田舎道をとぼとぼと歩いて帰ったのは、今でも忘れることはできない体験だ。
有機農業の国際大会でも、外国の方からよく、「フクオカを知っているか?彼は元気か。」と訊ねられるし、「若い頃、フクオカの講演を聴いた、彼の自然農法はすばらしい。」などの声もよく聞く。有機農業の世界ではかなり有名で多くの外国人は「わら一本の革命」を読んでいる。亡くなられた後、国際有機農業連盟からも連絡が来て、日本の有機農業関係者から福岡さんの死去のニュースについてコメントが欲しいとのメールが届いた。それくらい福岡正信氏は日本人の知らないぐらい「世界の福岡」であり、世界の有機農業に大きな影響力を与えた。
ご冥福をお祈りします。
「市 有 研 便 り」 2008年9月発行
市島町有機農業研究会発行 より
「有機農業の現状と近未来」 橋本慎司