コラム
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プロローグ(『田舎は最高』2007年発行)より
三月初旬。村落の道端には、紅梅・白梅が満開だった。まだ冷たいが、爽やかな風が吹き抜けていた。「気」の流れがよい山里だなと感じた。
なだらかな坂の農道に面したその土地は、南に面して六〇メートル、奥行きが十八メートルのほぼ長方形。約一反の田圃だったが、農業振興地区の指定が解除され宅地として売りに出ていた。四件ある土地のうち残った一件だった。
「ここ、どう。決めようか」と妻に問うと、
「そうね。明るいし、わたしはここでいいけど」と、意外にもあっさりとした返事。何ごとにつけて慎重な妻にしては珍しいことだが、ふたりの直感は一致したわけだ。その日のうちに不動産業者と仮契約をむすぶことになった。
「のこのって可愛い地名ね」と妻が言うので、サラダ記念日ではないが、「のこの移住プロジェクト記念日」と名付けた。
土地を購入してから、妻の間取り設計が始まる。週末はのこのに通い、物置き小屋をふたりで造り、家の棟上げから完成までの間は小屋で寝泊まりもした。半年後、家が竣工した二〇〇四年九月三十一日、西宮から引っ越した。
移り住んで一年ほど過ぎた頃だった。農道をぶらぶら歩きながら夕日が沈む山並を眺めつつ、ふと思った。
「ここにはもう十年、二十年も住んでいるような気がするなぁ……」と。
それほど居心地のよいこのたんば地域に溶け込んでいる自分自身を発見したわけである。五十数年生きてきて、いろいろな土地に引っ越しているが、こんな不思議な感覚は初めてのことだった。年のせいかもしれないとも思った。いや、どうやらそうではないらしい。私の妻も同様の思いを抱いていたし、丹波新聞の連載『田舎は最高』の取材においても私は異口同音の感想を聞かされた。
自然環境にしろ地域の人々にしろ、異口同音の感想を抱かせるだけの魅力が、この丹波地域(篠山市・丹波市)にはあるからだろう。事実、京阪神地域に住む人たちの間では、たんばは田舎暮らしの筆頭候補地にあげられているし、団塊世代のリターンが始まる二〇〇七年以降、ますますIターン者が増えていくのではないかと予測される。
本書では、田舎暮らし三年生となった私自身の体験や感想だけでなく、丹波新聞に連載したIターン家族の声を通じて、たんばの魅力の一端を伝えられたらと思う。
田舎暮らしの地を決めるには、納得した上での決断がいる。その意味でガイド本として、より具体的にたんばの生活をイメージし、かつ納得してもらえるようにと、地元出身で丹波新聞の記者である荻野さんに、たんばの歴史や文化、生活周辺のことを紹介してもらった。
これから田舎暮らしを考えている人、あるいはすでに物件探しなどの行動に移している人たちに、本書が参考になれば嬉しい。
二〇〇七年、桜吹雪きのころ
平野 隆彰