コラム
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身土不二―丹波伝心への思い 柳川拓三
河川改修もなされていない幅五〇m程の竹田川。川沿いの竹藪が川に被さっている。その川に架かる小さな木の橋の上に姉二人と竹ぼうきを持ち立っている。
橋を渡る蛍を竹ぼうきで捕るのである。橋の上から観る川面と竹やぶのステージは、正に息をのむ蛍達の乱舞ショーであった。
小学校が夏休みになれば、川で魚の掴み捕りに魚釣り。朝はカブトムシの集まるポイントへ足を運ぶのが日課。夜にはガト(蝉の幼虫)が孵化するのを観察。山にもよく行った。手作りのソリで斜面を滑り、泥だらけになっていた。
秋には両親に松茸山によく連れて行ってもらった。松茸を採りに行った時の山の匂いと、ツツジの咲く頃の春の山の匂いは明らかに違っていた。秋に稲を掛ける高さ5m程ある稲木(稲を干す為に木で組んだもの)ができれば、上って手作りのプロペラのゴム飛行機を飛ばして遊んだ。
冬は山裾にあるため池に何重にも氷が張り強くなった、その氷の上で遊んでいたことを思い出す。
今では暖冬で、その池に氷が張ることも無いが、今考えると相当危険な遊びをしていたとゾッとする思いである。
父には、夕方、川にサナギ(魚が集まる餌)を仕掛け、投網打ちに連れて行ってもらったり、お茶の配達の車に乗せてもらってよく付いて行ったことを思い出す。
母は、うず高く盛られた筍の頭を押し切りで切り落とす作業から始まり、モクモクと湯気と筍の匂いの立ち込める中で、筍の缶詰作業を早朝から、夜中までひたすらしていたのを覚えている。その季節になれば、旬の野菜や魚が食卓を彩り、家族の食生活と健康に何時も気を配ってくれていた。
今まで一度も、病気等で寝込んだ母親は記憶にない。真面目で、何事にも意欲を持って取り組む父親と、家族の為に一杯の愛情を注ぎながら、懸命に家業を支える母親の姿。今、回想の中から蘇えってくる思い出の一つ一つが自分の血となり肉となっているように思える。
手のひらの宇宙「食と農と里山Vol.1」より
(あうん社 2014年11月11日発行)