コラム
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日本の自然塩復活の話 6月20日 会場:兵庫県立大学環境人間学部
1976年11月伊豆大島に二人の若者夫婦が「塩」に情熱をかけ暗中模索で自然塩復活に取り組みました。故、谷克彦さんと阪本章裕です。私は的形町の塩田地帯で育ちましたので野菜よりむしろ塩には興味があり、30年前から大島にも出向き、それ以来阪本さんと親交を保っています。そんな彼が今回家族で近くに来ることになりましたので是非40年の体験を話してほしいと頼みました。興味のある方はご参加ください。野菜も塩も産業発展の中で軽んじられてきた歴史でもあります。 山根 成人
●と き 6月20日(土) 午後1時半~4時
●ところ 兵庫県立大学環境人間学部(新在家本町)
●参加費 500円
●講演内容 自然塩40年の歩みと塩の役割
●講師 阪本章裕氏 東京都伊豆大島
塩もイオン交換で100%に限りなく近い純度のナトリウムの製造に転換され工業用が主目的になりました。伝統的な入浜式や流下式で海水から製造していたのが全てなくなったのです。日本人は海水のミネラルを塩から採っていました。それによって体の微調整が出来てきたのです。政治も伝統的な健康の元を工業目的の生産物と同じレベルで扱うほどにまで意識の低下をしていたのです(欧州のように水や地質にミネラルが豊富な地域ではその必要がないのです)。
全く素人の二人の摸索が続き、やっと形になったときは専売という壁に閉ざされ会員制にして何とかしのぎ、専売制が解けると雨後のタケノコのように全国各地で生産されるようになりました。その大元はこの二人にあったのです。谷さんは志半ばで亡くなられ坂本一人でがんばり何人もの弟子を独立させました。彼らが創った現在の日本食用塩研究会は大きな組織になっております。しかし流通や運動に不得手な技術屋の坂本は長い間深層水など各地で指導に従事し、今は大島で家族で深層水による自然塩を製造しています。
1976,11 故、谷克彦氏と2家族で塩を作るため大島に移住。
1976~89 タワー式製塩からネット式を考案し、大幅増産に成功。
1984,4 自然塩流通本部(株)設立。
1996,5 同社退社
1997,3 ミクロネシア政府より招かれ塩田を作る可能性の調査。
1998、7 (有)阪本海塩研究所設立、ドーム式温室装置に噴霧式を利用
2012,8 社名変更