日本人の主食 ~ 宮本常一の講演録より

一宿一飯、一千軒
 日本人の主食といいますとすぐわれわれはお米を考えるのですが、お米が主食になりましたのは実は非常に新しいことでありまして、もともとは雑食をしておったんですね。

それでその雑食をしていた体験から話をしてみたいと思います。
私は昭和七、八年ごろから旅をするようになりましたが、特別に多く旅をするようになったのは昭和十四年ごろからであります。そして昭和三十年ごろまでというのは、自分の家におる日数よりは歩いている方が長かったのです。それも、皆様方のようにお金をたくさん持っているのではないのですから、宿屋へ泊まるということはほとんどなかったのです。たいてい民家へ泊めてもらいます。しかも私の仕度というのは、よれよれのジャンパーを着て、ゲートルを巻いて、リュックサックを背負っておるのですから、一番よく間違えられたのが富山の薬屋でございます。
「こんにちは」と言うと「あ、用事はないよ」とよく言われたものです。リュックサックの横にこうもりがさをいつもぶら下げておりましたので、ますます見間違えられるというのが私の旅だったのです。

いま振り返ってみますと、そういうようにして百姓屋へ泊めてもらった数がおよそ千軒にのぼっております。千軒というのは大体三年分にあたる日数でございます。
他人の家で飯を食べさせてもらったのが千回ということです。ところが米の飯を出されところはほとんど印象に残っていないのです。実は米の飯を出された方が多いのですけれども、米の飯以外を出されたところの方が印象に残っているのです。うまくなかったから印象に残ったのではないのです。心がこもっておったから印象に残ったのです。

 これはどういうことでしょうか。体験を話すのが一番よくわかりましょう。昭和十年から昭和三十年ごろまでの日本の人たちが、特に僻地、山の中であるとか、島であるとか、あるいは海岸べりであるとか、岬であるとか、そういうところで生活をしておった人たちが食べていたものについて考えてみますと、たとえば南の方から順次申し上げますと、ずっと南の奄美犬島のあたりへ行きますと、どこに行っても焼酎ばかり飲まされまして、それがすごく印象に残っております。焼酎を飲むときに酒の肴として出されるのが味噌ブタでございます。これはブタの肉を厚く切ったやつを味噌の中に漬けておくのです。それがお皿に一枚か二枚出ます。これで焼酎を飲むと、それだけでおなかが大きくなってきます。
私はいまはほとんど酒を飲みませんけれど、ある時期、焼酎を一升飲むようになったのは、実は奄美大島へ行って修業したおかげです。その結果胃潰瘍になりました。それで酒を飲むのをやめたんです。それはどうまかったのでございます。うまくなければあんなに飲まなかった……ということになります。略。

奄美大島を歩いておる間は、喜界ケ島まで渡ったのですが、お米のご飯を食べたという記憶は、ほとんどありません。それは昭和十五年の話です。屋久島でも、私は島を一周したことがあるのですが、ここも麦とサツマイモです。サツマイモをかなり大きく切ったものを麦の上に乗せます。イモガやわらかくなると、ぐるぐる麦と混ぜて、食べるわけです。温かいときは大変おいしいものです。しかしさめるととても食べられるものではありません。さめればこんなにうまくないものはないのです。だから温かいときに食べなさいと。あのあたりではカツオがとれます。そのカツオの煮汁、これは大変おいしいものですが、それにあのあたりにある野生の草の葉を入れて、それを飲みながら食べると、まさにこれは醍醐味でね。
私、後に胃潰瘍になりましたときに思い出しだのは、そういう味噌ブタであるとか、あるいはカツオのいろりであるとか、そういうものでした。元気になったらあそこへ行ってあれをもう一ペん食べてやろうと。麦だからうまくないのではないのです。麦でもうまいのです。うまくして食べておる、それに私は大変心を打たれたわけです。

 さて今度は九州の本土へ渡りまして、大隅半島の東海岸を歩いたことがあります。そのあたりではやはりサツマイモが多いのです。貧しい家へまいりますと、サツマイモ以外は出しません。サツマイモだけなのです。しかしそのサツマイモが大変おいしいのです。なぜかと言いますと、イワシの塩からがつくのです。イワシを自分の家に保存しておきます。保存するために塩をしておきます。そいつを焼きます。それをかじってイモを食べる、ただそれれだけのことですが、両方の味がうまくマッチして、いまも舌に味が残っております。

皮つきのイノシシを三皿おかわり
大隅半島の東側の海岸のちょうどまん中どころに、大浦というところがあります。そこへ二晩か三晩か泊めてもらいました。ちょうど大きなイノシシが二頭か三頭一度にとれました。それで、「あんた、イノシシを食うたことがあるか」
「そりゃ食うたことはある」
「ここのあたりのイノシシはうまいから、イノシシを食え」
「ありがとうござる」と。
向こうではイノシシは皮をむかないで、腹わたを出して、それを火であぶって毛を焼いてしまう。そしてぶった切りにする。皮がついている。初め食べたときにはこれがのどをこそげまして、「こんなものを食べて」と思ったのですが、一皿食べてみると案外うまいのです。
「いけるじゃないか」
「はあ、いけます」
「もう一皿食べろ」と。もう一皿食べた。うまいですね。後は焼酎が出る。それからまた「ついでにもう一皿食べろ」「あんたは偉い、ここでイノシシを三皿食べた」とほめられましたが、あくる日から下痢です。あれはあんまりたくさん食べるものではありませんですね。
ところが困ったことに、私かイノシシがうまいと言ったおかげで、あくる日もイノシシです。そのまたあくる日もイノシシです。毎日イノシシなんです。三日ほどイノシシを食べさせられました。御飯は出ないのです。それだけです。四日目になりますと、塩がしてありました。腐らないための処理です。その強烈な印象は、いまも頭にこびりついております。略(続く)

 一九八〇年十二月一〇日「食の文化」講演会より
石毛直道(編) 1981『食の文化シンポジウム‘81東アジアの食の文化』収載のものを再収録した。なお、地名の表記などもふくめ、原文のままとした。


出典:講座『食の文化 第二巻 日本の食文化』発行/ 財団法人 味の素食文化センター

コメント:いやはや、いろいろな意味ですごい話、圧倒されます。在野の民俗学者・宮本常一の真骨頂ともいうべきか。