「恍惚とゴハン食べてるね」

だいたい笑いというものは、理由あっての笑はたいして可笑しくないものだ。とうていゲタゲタ笑いというわけにはゆかない。

さしたる理由がないか怖ろしく下らない理由のものほうが爆笑をひき起す。だからあとで考えると何が可笑しかったのか自分にも不可解で、他人に説明しても他人のほうは、それこそ可笑しくも悲しくもないことが多い。だから本人も思い出せないのだろう。
こんどは、そこまでゆかなくても、ごく最近笑ったのはどんなことだろうと考えてみる。そうだ、この春笑ったことがある。
食事中、家内がふと私を見て、
「恍惚とゴハン食べてるね」
と、いった。
私はわれに返り、その数瞬やや天を仰ぎ眼をつむって飯を食べていてことに気がついた。それから笑い出した。
これが酒なら可笑しくけない。飯だから可笑しいのである。別に考えごとをしていたわけでもなければ飯の味をかみしめていたわけでもない。ただ偶然そんな状態になっていただけだ。
出典:『あと千回の晩飯』(近頃笑いのあれこれ)山田風太郎 朝日文庫