畦道を歩かせてもらっているから

今日は予定どおり、朝8時からKさんとマツタケ山に入って1時間ほどウロウロ。


昨日から狩猟解禁になっているので、猟師たちが猟犬とともに鉄砲かかえて山に入ってくる。入札したマツタケ山にはこの日を境に誰も自由に入れるのだが、マツタケのために鉄砲に撃たれて命を落としたとあれば、末代の笑いダネになってしまう。
それでも我らはミッチィーを連れて、鈴を鳴らしながら、Kさんと共同入札のマツタケ山に入ったのでありました(実は、この山にはハンターが入っていないとわかっていたので)。
「ないなぁ・・・。ないなぁ・・・」
Kさんは、ぶつぶつ繰り返し言いながら目を皿にして歩いている。
「そんなに、ないなぁ、ないなぁと言ったら、ますますないよ。もう十回以上繰り返してるで。あるけど、見つからんなぁと言ってほしいね」とぼくが言うと、
「あっはは、そうか。あるけど、ないなぁ・・」
「そうじゃなくて、あるけど、見つからんなぁ、マツタケちゃん出ておいで。こう言わんといかんよ」
「マーツタケちゃん、出~ておいで、か。あっははは」
と、こんな調子で、手ぶらで山を出たのでありました。

それからぼくは予定どおり、最後の黒枝豆の収穫と出荷。そのあと、畑で芋ほりをしていたところ、Kさんが近所の2人と立ち話をしている声が聞こえてきた。50メートルほど離れていたが、なにしろKさんの天然の大声は村でも評判なので、何をしゃべっているのかわかるのだ。どうやら昨日の日役(山に入って植林の枝落としや下刈り作業)のことらしい。
3人は20分近く話し込んでいたが、後でKさんに何気なく尋ねたところ、やっぱりそうかと思った。
要するに、2人の言い分は、別に山の権利は要らないから、日役に出たくない。よって、日役に出ないと7000円払うという村のルールを変えるべき、ということだった。
村の衆が日役に行く山は、村全体の財産となっている。財産区の山、と村の人は言っている。日役に出た家、あるいは出ないで7000円を支払い続けた家は、将来、木を伐採してお金が入ったときは、そのお金の何がしかをもらう権利がある、ということだ。しかし実際は、各戸にお金が配られるということではなく、村全体で使うために預金されるだろう。
将来といっても、ずいぶん先の話であり、50年先のことかもしれない。自分が生きているうちに、何がしかのお金が入る、なんてことは誰も思っていないのである。
その権利は放棄するから、日役を免除してほしい(7000円を払いたくない)、というのが2人の言い分であった(らしい)。

この夕方、村の林務部の責任者が「日役不参加の人の集金」を依頼に来たので、Kさんから聞いた話をして、ぼくは意見(持論)を言った。簡単に言えば、「日役のルールも、畦道を歩かせてもらっているというのと同じ」ということだ。
村の財産区の山の手入れをするのは、何も将来の権利確保のためなどではない。この集落の景観を営々と守り続けてくれた先人への感謝であったり、水の保全のためでもあったり、防災のためであったりするわけだ。こんな環境に住まわせてもらっていることに対する当然の義務、というべきだろう。
「畦道を歩かせてもらっているから、ぼくは田んぼも作っていないけど、村の草刈や行事にはできる限り参加している」
そう言ったのは、ぼくと同じく丹波に10年前に移住したSさんの言葉である。ぼくは7年ほど前、『田舎は最高』(現・丹波新聞社長Oさんとの共著)を取材した折に、この言葉を聞かされて唸った。都会からの新参者・移住者が、集落のなかで暮らしていく上で心得るべき姿勢を、ずばり言い表しているからだ。もちろん言うべきことは言うし、言いたいことがあれば遠慮なく言ったらいいが、「畦道を歩かせてもらっている」ということを先ず念頭に置いてのことである。

昨日の日役は、ほんとうにシンドかったと、多くの人が言っていた。作業をする場所が山頂に近く、そこまで辿り着くのに40分ほどかかり、しかもすごい急傾斜での作業だったのでなおのこと疲れはてた。
「こんな急斜面に植えたって搬出するコストを差し引いたら一銭にもならん」
「ほんまになぁ・・・しんどいばっかりや」
そんな会話があちこちで聞こえる。
夕方、作業終了の間際に、間伐した直径10センチほどの檜が二人の頭に倒れてきて、もうちょっとで大怪我をするという場面もあった。昨年も鎌で指を切って病院に駆け込んだ人がいた。そんな危険性を伴う作業を、村の衆は誰も文句を言わず(内心はともかく)続けてきたのである。
それを新参者が、簡単に「権利を放棄するから免除して」はないだろう! とぼくは憤慨する故に、林務部の責任者に、意見を述べたのである。
「日役のルールは、財産区という権利の問題というより、環境保全や治水のためということにしたほうがスッキリするんじゃないですか」と。

余談ですが、昨日の日役の山は、この集落(野上野)ではいちばん高く、赤井直正の居城・黒井城の山(356m)よりも高いそうだ。山頂には戦国期の砦があったようで、大岩に囲まれて平たい台地になっていた(ここもイノンシシが荒らした迹があった)。
南にはやはり砦があった三尾山(586m)を望む。明智軍の丹波攻めのときは、黒井城・三尾山とも狼煙で合図を送りあっていたのだろう。
ちなみにこの山頂の地名が「平野」と言う。我が家はこの山を東北に背負った麓にあるわけだから何やら因縁深いなぁ・・・・。この平野から尾根伝いに、丹波の古刹・神池寺まで約30分。野上野の村の衆は、「昔は、下駄をはいて神池寺まで盆踊りに行った」というから驚きだ。