英語で書かれた『ゼン・マクロビオティック』

  「無双原理」を携えて

 桜沢如一は、1929年(昭和4年)、36歳のときに自説の「無双原理」を世界に発表すべくシベリアを横断し、単身パリへと無銭旅行を敢行した。パリでは市場で捨てられた野菜くずや野草などを食べて自らの理論を実践する生活を送り傍ら、ソルボンヌ大学、パスツール研究所に学んだ。やがてフランス語で書いた著書をパリで出版しているが、晩年には『ゼン・マクロビオティック』を英語で書いた。
これには4種の原本があり、最も古いのが1959年末〜1960年初め、ニューヨークでタイプ印刷版として出版されている。これに加筆して61年に出版したのが、実際上の初版だという。61年といえば桜沢の亡くなる5年前、68歳のときである。アメリカではロングセラーとなり、George Ohsawa(桜沢如一)の名を一躍有名にしたばかりでなく、マクロビオティックを全米に広める土台となった。
『ゼン・マクロビオティック』は、欧米人に向けて書かれていることもあり、東洋哲学から西洋文明(社会)を見降ろした過激な発言も少なくない。核心をついたストレートな西洋批判の部分には反発や冷笑を投げかける欧米人の読者も少なからずいたにちがいないが、遠慮のない確信的な言い方に、サトリを開いた高僧あるいは教祖的な説得力があり、痛快でもある。

  実践哲学から「サトリへの道」

  幼少のころから病弱で何度も死にかけた桜沢如一にとって、食養法は単なる健康法ではなく、実践哲学であり、生き方そのものだった。戦時中は軍部批判で投獄されたりして、彼の人生は内心(天)の声に導かれるまま波乱万丈、永遠の青年のような生き様を見せている。彼が創り広めたマクロビオティックの教えが、晩年になるにつれて宗教的な高み(サトリへの道)へと向かうのは自然な流れだったのだろう。
マクロビオティックは日本だけでなく世界に広まった。だが、日本ではその大きな足跡ほどには、桜沢如一の名を知る人が意外に少ないのは、どういうわけなのだろうか。
                                                     以下は本書(日本語翻訳本)からの抜粋。

 私が理解する極東の医学においては、治療法とか治療薬とかいうものは必要ありません。なぜなら、この宇宙のすべての生命の母体である自然そのものこそ、偉大な治療者だからです。
宇宙の成り立ちを把握した東洋哲学の世界観によれば、すべての病気は十日間で完治すべきものと考えます。すべての病気は血液中に発生し、また血液によって養われています。
私たちの考えでは、治療には三つの種類があります。
(1)対症的 
一時的、物理的、暴力的な対症療法によって、症状を破壊し除去する治療。これは
対称的、肉体的、機械的な医学。
(2)教育的
人間が自分の肉体的な健康を確立し維持する判断力を身につけさせる治療。これは
人間の医学。
(3)創造的、精神的
怖れや悩みのない生活、自由と幸福と正義の生活、すなわち、自己実現にまで至ら
せる治療。これは体と心と魂の医学。

 私たちは、人生の一瞬一瞬において、自らの病気を認識し、自らの幸福を創造しなおして行かなければならないのです。
東洋におけるサトリとは、身も魂も自由と幸福と正義の国に達したという、明確で論理的な確信の境地です。
もし、サトリへの道がはてしなく遠く感じられるなら、その求める方向は間違っています。