「地域がささえる食と農・神戸大会」で考えたこと

有機農業の神戸の大会に行ってきました!

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子ども達をみてくれる人が見つからなくて、2日間あるうちの1日目しか参加できませんでしたが、とても実のある充実した会議でした。開催された会場である神戸学院大学のポートアイランドキャンパスもきれい過ぎ?!震災後、このキャンパスを造るのに一体何億円かかったんだろう?などと、俗な疑問もふと沸いたりして、田舎から出向いていった私にはともかく非日常の1日でありました。(主催関係者の皆さんご苦労様でした。来年は託児を是非設けてください。)    by たま           

(註) この大会は5日間にわたる世界大会で、アメリカ・フランス・インド・オーストラリアなどから参加した農家が、日本から学んだ"提携"モデルを各国なりに発展させているCSA(産消連携)の内容を発表しました。詳しいレポートは、また後日、「有機農業の現状と近未来」に掲載します。 写真提供/ 田舎元気本舗

個(孤)食、パン食、手抜き食

 海外のCSAが盛んになった反面、日本の有機農産物の提携運動が小さくなっていったという報告は、零細のり・たま農園にもやはり、と思わせることがたくさん思い浮かびあがりました。まず時代は、個(孤)食、パン食、手抜き食になってきたということ。うちが今まで出荷してきて辞められたお客様より言われることの一つに、「量が多すぎる、食べきれない」というのがあります。「送料は同じだし、ちょっと余ったこの野菜をおまけで入れてあげよう」といyukikobe2.JPGうようなことをしますと、途端に嫌われます(苦笑)。
私の家で約3日間で消費する量と相当の野菜セットを隔週で送っていますから、2週間もあるんやから、これくらい食べることができて当然、というこの生産者の身勝手な思い込みで、ついつい多く入れすぎてしまうことで、意に反してこれまで多くのお客様を失ってまいりました。あ〜れ〜。とりわけ若いお客様にその傾向が強い。
私たちも小さい子達を持つ親ですから、できるだけ若いお母さん達に子ども達が安心・安全で、おいしい野菜をたくさん食べてほしいという願いがあります。そのためできるだけ適正価格。一握りのお金持ちしか買えない有機野菜ではなくて、継続して食べていただける値段で提供することにも努めてまいりました。しかし市販の見栄えのよいスーパーで売られている野菜よりも確かに値段が高く、おまけに送料負担して取って下さっているのにもかかわらず、使い切れないということによって、辞められてしまう方が多いというのは真に残念なことです。

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 ちなみにどうやって野菜を食べておられるのか聞いてみましたところ、まず葉ものを使う、早くしなびる可能性の高いものは、いったん茹でて冷凍するなど、さまざまな調理法を伺いました。旬の野菜は基本的にばっかり食ですから、漬物にする、干し野菜にする、瓶詰めにするなど、食べ方にも工夫が要求されます。夏場にきゅうりが3ヶ月続いたりすることもザラ。でもそんな生産現場の事情も、高齢の消費者の方は実に上手く野菜を使いこなしてくださいます。この一手間かける、これが私も含めてなかなか若い世代にはできないんですよね〜。その知識も少ないということがわかってまいりました。普段の生活が忙しすぎる、というのもあります。そのため加工食品を多く買う傾向があり、野菜の素材自体にお金をかけるよりも、出来合いのお惣菜一歩手前の中抜き食を多用することによって、食卓を埋めているというのもよくあることです。スーパーへたまに買い物に行くと、みんな本当に野菜を買ってなくて驚きます。

 おいしいパン屋がたくさんある神戸では、朝ごはんはパンという家庭は5割にものぼるそうです。そして学校給食も主食がパン。ご飯食は晩だけという状況では、もちろん米の消費が増えるわけがありません。そして小さいころに飼いならされた味覚と食習慣は、その後何十年と大人になっても残ります。煮物が過去の遺物となり、サラダを食べることが野菜を食べることだと勘違いしている子どもが多い中で、いくら1日30品目食べることが目標だと栄養学で言ってみたところで、サプリも添加物も1品目と数えることができ、それは決して日本の和食文化をみなおして、食料自給率をあげようということにはつながりません。まず、その土台となる食べる人がいないのです。ましてや自分で作る人など。
野菜料理をメインとすることは、肉や魚を調理する以上に面倒くさいことですよね。洗って、切って、煮炊きする、和え物にする、保存食にするなどは、イマドキ暇人しかできないことでしょうか?昔の人は、しょうゆもみそも、全て自家製ということがありました。手作りすること自体が贅沢となってしまった今、理想は理想だけれどもこの面倒くさい方向へ、世の中が動いていくということはもうありません。この便利でぱっと何でも手に入れようと思えば入る時代、そこへ知らず知らずのうちに入ってくる農薬の多用や、食品添加物のオンパレード。それでも何とかできる限り、私たちは踏みとどまってみましょう!

非農家が創る有機農業への輪"提携"

 そう皆様もうお気づきですよね。有機農業が再生する、もっと誰でも気軽に有機農産物が食べられるようになるためには、非農家の消費者が生産者である農家に直接支援していく、近づいていく以外に、生き残れる道はないと思うのです。だからこそ30年前に"提携"という生産者と消費者が直接結びついた産直の共同購入が生まれ、その伝統によって生かされ、また殺されもしてきました。もう決まっ た時間にご近所に取りに行くといったことや、取りまとめの人がボランティアで負担を担うということは、都会のコミュニティーが機能しなくなった今ほぼ不可能です。誰にもご負担をかけたくないし、自分もそれをかって出たくないという人ばかりになってしまいました。当然のことです。また農産物を畑でできただけ全量受け入れるのではなく、消費者にも選択の権利があるということで、個別買いが好まれました。というのも好きでもないのに食べきれないのに、来た物全部におyukikobe5.JPG金を払うなんてやってられないと。だから既存の"提携"は農家にとっても、消費者にとっても融通の利かないものになってしまって、会自体と会員の負担は増えるばかりということも本大会であらためて学びました。
そこでゲリラ的に後から参入したのり・たま農園は、次第次第に有機野菜といっても、きれいな見栄えの野菜しか出さない(基本的に洗う、黄色い双葉等は取る)、たくさん入れない、安くしない(でも高くもしない)という路線に、自戒も込めてなってきてしまったわけです。それでも新聞紙で包んでいたり、リサイクルの箱を使っていたりまだしていますが。最後の値段については、これは安いから売れるわけでもなく、高いから売れないわけでもない。このブランド性が、私はそれほどこだわるべきではないと思っているのですが、実際畑で作業しているのりにしてみると、俺がこんなに必死でやってるのに野菜を安くなんて売れるかと言われ、実際年々値段も少しずつ高くなってきているような。別に資材が高騰しているとかそういうわけではなく、「年間全く休みなしでやってる俺の労力・労働時間を、菜っ葉一束100円で売る気持ちになってみろよ」というのです。時給100円にも満たない労働が、まるで家事労働のように無償で、農業の世界では存在しています。
でもちょっと待って。この働き方をお金に換算するってどういうこと? そもそもお金に換えられない質の労働が、家事と同じように農業には存在していると思います。それはいのちをはぐくみ育てることが、子どもと同じように畑で行われていることだと思っています。そうして愛情をかけて、有難くできたものをいただきたいと思っています。

収穫物はいのちが育ったもの、そしてつなぐもの

私は、有機農産物が単なる商品である以上に、コミュニケーションの媒介物であること、つまり私たちとお客様をつなぐ、野菜を通じたとてもすばらしい関係をつくらせていただいているということは、すなわち野菜が物であって物でない、「畑」と「口」を結ぶ相互扶助的なものであるということだと思っています。なかなか私たちも野菜の価値をお金に換算できない。反対に変に価値を置き過ぎるということもあると思いますが、たまに援農にきていただき、畑の実際に触れていただくことで、草取りの大変さ、天候不順に悩まされ続けることなど、色々商品以上のものを一緒に共有できることに、それこそ大きな喜びとやりがいを感じます。
海外のCSAは年間を通じた農家との契約だったり、しがらみの少なさも発展の原動力かなと思います。事業展開の多様性や、有機ファン層の厚いこともきっとある。でもやはり教育水準の高い中流家庭以上がその中心になっていることに、各国とも違いはありません。残念ながら、貧しい人ほど悪いものを食べている。その悪循環が、有機農業だって元々お金が一番重要なわけじゃなかった、つまり自給+αの野菜を売っている分には、交換していくことでどんどん補っていけるということで、断ち切ることができればよいのですが。地域通貨も含めてまだまだ理想の域を出ないなあと思います...。現実は、有機農家でさえ、それを始めようとする非農家の圧倒的多数が、お金に困っていない教育を曲がりなりにも受けた人のほうが多いのですから...。のりも両親が教師で公務員。だからこそ成しえた業でもあります。

貧しい時にこそ、ぶつぶつコーカン

可能性の一つは、日本でも流行ってきましたWWOOFウーフの取り組み。農家で住み込みで働いて、労働力と交換に食事と宿を提供するというもの。また、うちでもどこでもやってますが、研修生を受け入れて彼らの労働力と、野菜生産にかかわる技術を伝達するという交換を行うこと。これも将来有機農業家が増えるかもしれない、新しく農業をやったことがなかった人もその機会を提供することで、こちらも潤うし支援もできるというネットワークの広がりへの期待があります。後は、実際の物々交換。塩と大豆や野菜の交換。野菜と散髪の交換。野菜と子守りの交換。その他、私たちは今まで野菜を差し上げることで、かなりたくさんのyukikobe6.JPGものをいただいてまいりました。これはお金がいらないだけでなく、経済不況やデフレといったこととも全く関係がありません。国内需要を増やすために国債を多く発行して公共事業を行い消費喚起に努めるといった政策とは無縁です。
これから経済はますます落ち込むばかり。年収200万円台が横行します。そんな中でも地産地消や、産消提携のネットワーク、言うなれば人と人との顔の見える関係、引き出しを多く持つことで、つながっていける、支えあっていけると思っています。そのためにも規模を大きくしすぎないこと。身の丈にあったサイズの暮らしの維持を心がけ、どんなことにも柔軟に対応できるよう、これからも努力していきたいです。

我が大事か、社会が先か--損・トクを抜きにして

最後に提携有機農業30年の歴史の中で、私たちが変わってしまったこと。それは今40才台初頭の私たちより後の世代は、確実に個の時代。自分が何でも先に立って大事なんです。

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まずは自分の暮らしをと個人主義でいくばかりに、社会の大きな流れが見えず、総じて社会を変えようという意識が希薄です。昔は学生運動でも何でも、世の中変えようムードが先行した時期がありましたが、今はスタートからあきらめが入っています。社会は個人がどうあがいたって変わらないもの。だったら他の人(社会)のために身を粉にして、結局自分が消耗するより、個人の幸福を最大限追求するほうがトクじゃないかあ。このトクかどうかが判断の基準となってしまっています。
私は段々年をとってきて、もうこのトクはどうでもいい。自分の暮らしも大事だけれど、それ以上のものを目指したい。有機農業はこの可能性を秘めていると思います。小さい同じ価値観を持つ人たちだけで密な連携をとるほうが楽だし、思考も身体も外に出て行くことはとても大変だけれども、多くの有機農業家や先輩たちが実践してきているように、将来を涵養することに思い切って飛び込むほうが、結果としてもよい循環が生まれるのではないかと思っています。