スベテをうけ入れよ。スベテを与えよ!

秋の彼岸に必ず一輪、二輪と咲く彼岸花。それから2週間もすると燃える赤い絨毯を畦道や土手に織りなす。

草刈が続く間は土の中に眠って時を待つ、賢くも律儀な花である。
「今年の暑さはまた格別やなぁ」。そんな挨拶がこの十年続いているが、この夏はゲリラ豪雨のせいか草の勢いがすごかった。野菜づくりをする間もなく雑草との格闘が延長十八ラウンドも続いた。気力・体力を消耗させる雑草との戦いは、米収穫期まで終わらない。老いとともに白旗をあげる農家が増え、除草剤メーカーを喜ばせている。
農の営みをあざ笑うように草は謳歌し、彼岸花はひとりでに咲く。自然の移りを感じながら、つれづれなるままにボゥーと思う事は、「ねがはしかるべき事こそおほかめれ」という世の流れ。原発、放射能、農薬・除草剤、薬漬け医療、精神病院、添加物まみれの食品、テロや紛争、モンサントの遺伝子組換え種子、ワンワールドのTPP等々、願わしくないコトやモノが満ち満ちている。
スベテをうけ入れよ。最大のヨロコビと感謝をもって」。これが禅の境地です。不幸せも幸せも、病気も健康も、戦争も平和も、敵も友も、貧も富も同様の感謝とヨロコビをもって。「スベテをうけ入れよ。スベテを与えよ!」これは君の健康や幸せのバロメーターです。(『東洋医学の哲学』)
そうは言つてもGO自身は反戦活動で投獄され、西洋医学の象徴とみなしたシュバイツァーに「世紀の対決」を挑み、世界精神文化オリンピックに平和の希望を託しながら亡くなった。そんな闘志あふれるGOがいまの世を見たら、ワンワールド(グローバリゼーション)といったものは所詮、“黙示録的陰謀”だと言うに違いない。そしてニッコリ笑って言うだろう。いつの時代もこの世は非情で不条理なのだ。ゆえにこそ、「遊ばざるもの食うべからず。スキナことをタンノーするほどやりぬき、ユカイな一生を送ることだ」、と。
この夏、雑草との格闘の合間、ぼくは牛のようにGOの言葉をタンノーするほど反芻していた。

永遠の少年GO・平野隆彰
「Macrobiotique 2013年10月号」より(日本CI協会発行)
註:GOとは・・・ジョージ・オオサワこと桜沢如一。