子連れ3人アメリカ留学てんてこまい記(4)

貧しき者はますます貧しく

 私の勉強のほうはとにかく(えー?これがメインで行ったはずなのに)、子ども達は成長しました。子どもは新しい環境にすぐに馴染むことができるというのがわかりました。幸い危ない目にもあわなかったし、友達もできて現地の皆さんに可愛がってもらえました。
 日本もそうですが、貧富の差が恐ろしいほど開いているというのは、アメリカの場合、露骨に人種・民族の間で激しく、黒人、メキシコ人、先住民族など白人以外で貧困率が高いのは言うまでもありません。環境破壊・汚染の場合もしかり。「Not in my backyard. 自分の裏庭にではなく」という言葉があるのですが、ごみ処理施設やウラン鉱山、核廃棄物処理施設など、自分の近くに持ってきては欲しくない施設は、相対的に貧しい有色人種の居住地に持ってこられやすいのが常です。貧しき者はますます貧しく。まともな教育からも環境からも遠ざけられて、それが世代を越えて受け継がれるので、這い上がるチャンスがありません。悲しきや、いずこも同じ。

国立公園グランドキャニオンのウラン鉱山で

 昨年(2009年)7月に、グランドキャニオンのふもとのハバスパイに行った時もそう思いました。ハバスパイは、グランドキャニオンがある地域に古くから住んでいたとても小さな規模の先住民族です。グランドキャニオンは国立公園なのにその中にウラン鉱山がいくつもあります。それは国立公園所有の土地だけでなく、連邦土地管理局や森林局など入り組んだ公用地が格安で開発会社に払い下げられているのです。それだけその地域が景観だけでなく鉱物資源にも恵まれているということでもあります。その一つキャニオン鉱山も、活動が休止中だったのにもかかわらず、採掘が再開されるというので、地元民が300人規模の反対イベントを企画しそれに参加してきました。セージとジャニパーという杉系の潅木が生い茂る荒野に、テントを借りて持っていって野営。地平線を見ながら外で用を足すのは醍醐味です(お、失礼)。ちょうどそこへ到着する前、大きな虹が夕焼け空にかかって、その光景のダイナミックなこと。イベントの行われたハバスパイの聖地であるレッドビュートは、鉱山のおかげで放射能汚染の危機にあります。

インディアンダンスの輪の中に

 私たちは到着後すばやく日暮れまでにテントをこしらえると、交流イベントに合流。コンサートやインディアンダンスなど、楽しみいっぱい。いち早く野原(4歳)は地元の子どもらの輪の中に混じって、チャンバラごっこ、鬼ごっこ、おやつもしっかりもらって走り回ります。風葉(8歳)はそこまで積極的ではなく私にへばりつきながらも、インディアンダンスの輪の中に私が連れ出すと、最初はいやがっていたものの、本人はもともと踊りたかったらしく、笑顔に。抱っこ帯の中におさまっている椿(1歳)は、誰からも愛され、そのついでに私も認知してもらえるという具合。夜遅くになって、泥だらけのままテントにもぐりこみ、とりあえずは寝ることに。夏なのに夜は冷んやりの砂漠の気候。満点の星、天の川。ストーリーテリングにぴったりのシチュエーション。でも疲れて全員ぐ〜。

「祈っとるんじゃ、静かにせー」

 そして翌日は夜明けとともに、インディアンドラムの音で目が覚めます。ご来光を祈っている人がいて、その凛とした静寂さと寒さの中に、独特のセージが焚かれた匂いが漂います。朝ごはんを炊き出しで作ってくれているスタッフの人よりもらって、私らはキャニオン鉱山までの約5キロのウォークに挑戦。もう子連れでのデモ行進は大変。野原も風葉も前夜遊び疲れて全然歩かへんし、私は椿を背負って重いし、手をひっぱってトボトボ歩くのももう限界と思っていたら、2キロも歩かへんうちに後ろから車に拾ってもらいました。そこで鉱山の現場までピューと先に連れて行ってもらって楽した後、ここがあの悪名高きキャニオン鉱山かぁとフェンス越しにのぞくと、中で白人風の労働者がなんじゃこいつらはという雰囲気で、私らのことを警戒していました。何もせんわい。その後ウォーカー達が到着すると、インディアンスタッフ(旗みたいなもの)に見立てられた棒切れを次々と地面に刺して、セレモニー。「こんなとこでウランなんて危険なもの採掘すんな!」という祈りを皆が捧げました。子どもらは訳わからんままに、母親の私に連れられるまま、「お母さんここで何してんのー?」と聞きます。「祈っとるんじゃ、静かにせー」のやりとりが日本語で交わされ、なんやこの親子は??と周りに思われながら時が過ぎます。
でもウォークが終わってから、遠くからよく来てくれたと言ってもらえ嬉しかったです。住んでいたアルバカーキから車で時速120キロ、延々ぶっ飛ばして6時間以上。遠かったぁ。さらに言うなら、外国人の参加は私らだけでした。気をよくした私は、キャニオン鉱山からキャンプサイトまでの帰りの車の中、知り合いのナヴァホのおじさん達に、竹田の子守唄とこきりこ節を歌ってあげました。大いにうけて、歌のうまくない私も満足。ネイティブの人たちはジョークが大好きで、私は日本の歌姫かとからかいます。そんなわけないじゃん。でもこのラリーおじさん達とはとても仲良くなりました。ナヴァホでのウラン鉱山が自分の家のすぐ近くにあるので、他のネイティブ達の闘争を支援しにやって来ているのです。

この時期ならではの宝物

 と、こんな風にアメリカでデモなんかにも子連れで参加しました。世界のどこの場所でも闘っている人はいます。子どもらは大きくなると、彼らの記憶の片隅に断片さえも残らないかもしれないけれど、それで良いのです。一緒に遊んで、飯食って、歩いて、笑って、母親の私に叱られて泣いて、とそんなことを繰り返しながら、いつでも日々の暮らしの延長です。どんな場所でも、子どもは毎日なんか面白いことないかなあと探しています。その好奇心たるやすごいもの。先入観がないので誰とでも友達になれるし、言葉は関係ない。この時期ならではの宝物です。そのおこぼれに私もあやかって、大変だけど子連れの旅も悪くないと思います。どんなに苦しい場面でも子どもがいると和むし、わずかでも希望が湧きます。いつでも無垢な笑いがあって、いざというときに限って「お母さんウンチ」とか生活感もたっぷり。子どもをだしにして、自分が相手と親しくなる口実にも使ったり、でもこれが驚くほどスムーズに行くのです。乳飲み子を抱えた母親の特権なるものを味わいました。他にあんまりいいこともないので、それぐらいいいやろと強気です。毎日溢れる洗濯物、三度の食事の支度に、色んな後片付け、何より夜おっぱいで起きて少ない睡眠時間。そんな合間に勉強たりえぬ勉強をし、長いようであっという間の1年をアメリカで過ごしました。
私は決してタフではないのです。しんどいのです。でも子どもがいるおかげで楽しいことがたくさんありました。新年早々、子ども手当てなんかいらないから休息がほしいと思いつつ書き綴りました。今年の抱負は、オバマよ「核なき世界」できるもんやったらお願いやからやってくれよーと、沖縄基地移転ではなく完全撤退と、野菜と米がよくできますようにと心から祈って、皆様にとりましてもどうぞ実り多き年となりますように。いつもお世話になり有難うございます。今年も何卒よろしくお願いします。(たま)