子ども3人連れ留学てんてこまい記(1)

  農家の"嫁"が夫をおいてninjin.jpg

 いつもお世話になっております「のり・たま農園」のたまです。ちょっと遅くなりましたが、昨年夏から1年間行っておりました子連れ留学の報告です。
 私は昨5月に三番目の子である二女「椿」を出産し、その3ヵ月後のお盆から、米国ニューメキシコ州アルバカーキに1年間滞在してきました。私は総合研究大学院大学の博士課程の学生で、「アメリカ南西部先住民のウラン鉱山の被曝と環境正義運動」について研究しています。渡米するにあたって「農家の"嫁"が夫をおいて、家業もおいて、よくもまあ...」と言われます。けれど彼が農業を続けられるように、子ども達を全員連れて行きました。お姑さんには「自分のやりたいことのために子ども達を犠牲にしないで」とも言われました。が、子どもにとっても海外で暮らすことはかえっていい経験だと思って連れて行きました。今回の留学は、宝くじに当たるような確立で日米教育委員会よりフルブライト奨学金をいただいて実現したものです。基本的に学業にかかる費用は、私は農業収入とは別経済でやっています。大学院には入ってかれこれ6年目になります。入学してから2人出産し、それでもなんとか細々と続けていました。私の専攻ではフィールドワークが欠かせません。今まで長期で滞在したいと思っていても、経済的にとても大変でかないませんでした。でもやっとこの奨学金のおかげで行くことができました。

   8歳、4歳、0歳の子ども達と

 アルバカーキでは離婚したての60歳のおばさんと一緒に暮らしていました。彼女が一人で家賃を払う金銭的余裕がなくなったということで、そこにルームメートとして私たちが移り住みました。天井の高い2LDKぐらいの家でした。
   彼女は最初とても親切だったのですが、「子どもたちがうるさい。部屋を汚す。」と言われて、私たちは初めリビングのほうも使わせてもらっていたのですが、自分たちの部屋以外は台所だけを使うようにして、なるべく汚さないように気をつけるのが大変でしkazegrandcan.jpgた。

    8歳、4歳、0歳の子ども達に、「静かにしろ。食べ散らかすな。片付けろ。」というのはほとんど無理です。私は「親のしつけがなっていない」と責められ続け、滞在最後のほうはストレスがたまって、子どもたちに怒鳴ったりもしていました。けれどそれでも引越しせずに最後まで同じところで暮らしました。子どもたちの学校や保育園もすぐ近くにあり、学校を変わったりすることはとても面倒で、また家財道具も何も持っていない状態では、一から買いなおして、また1年も経たないうちに処分するというのは大変効率が悪いことでした。住んでいた家ではベッドシーツやタンス、台所用品にいたるまで全て借りることが出来たので、その方が余程身軽に住めるということもありました。
   結局、厳しくあたられるのは、彼女の離婚のショックによるものであるというのがわかり、それならそうと言ってくれればわかりやすいものを、時間をかけて小出しにチクチクやられるのはつらいものがありました。とりわけ私たちがアジア系で文化圏が違うからnoharagrandcanyon (2).jpgというのが、あまり認めたくもないのですが人種差別が入っているというのが少なからずあって、そのために信用されないというのは、まさしく現在のアメリカで起こっていることを、身をもって体験したということになりました。

シングルマザーに子守の応援

 もちろん悪いことばかりではなく、良いこともたくさんありました。その一つは小さな子ども達がいるからということで、たくさんの人に目をかけてもらったことです。滞在期間中、私はまったくのシングルマザー状態で、一人で子育てをし、仕事こそしていないものの、留学の主要な目的は私の研究であったために、するべきことがたくさんありました。それでどうしても一人だけで子ども達の面倒をみられない場面があって、そういうときに色々な人に子守りをしてもらいました。
最初ベビーシッターを探すのは容易なことではありませんでした。人づてに頼めそうな人にお願いして、徐々にネットワークを広げていきました。全く知らない土地で、友人を作り、

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少しずつ私にとって気持ちいいコミュニティーである子育て環境をつくっていくことは、とても難しいことですが実りが多く、ルームメートには恵まれなかったけれども多くの友人には恵まれて、1年で30人以上の人たちと親しくお付き合いできたことは大成功でした。このご縁は一生もので、これからもアルバカーキを第二のふるさととして訪れたいと考えるほどです。 <続く>  たま