雑草について考える (片野学氏の講演録より)

結局、雑草はこの冷たい乾いた、固い、苦い、死に損ないつつある地球表面に、まず芽を生やすことによって、固い土を柔らかくする。

そして、自らの根からはいろいろな物質が出ています。糖類、アミノ酸、ビタミン、各種の酸も出ています。

地球上に草が登場するのは、今から2000万年前だとわかっています。古生物学には書かれています。それまでは、地球は温暖だったので、全部木でした。木と草の違いというのは、芽が地上にあるのが木で、芽が地面の中にあるのが草です。植物学的には草と木の違いだけです。
「草取りが大変だ。」とみんな言います。私もそうです。雑草を取るときに、どういう姿勢で草に向かったらいいのか。これも笑い話がたくさんあります。意味がよくわかっていない奥さんやご主人がやると、草取りは単なる労働で辛い労働にしか過ぎません。
まず、雑草たちをよく見て下さい。実に美しい生き物です。葉っぱも花も根っこも実に美しい。そして、実にたくましい。死んだ土地を生きた土地にするために生えてきてくれる草たちですから、草を抜くときにも雑草に感謝しながら抜いていく。ものに感謝しながら農作業をやると、彼らが言っていることもわかってくる。「このやろう」と思って雑草を抜くと、すぐに疲れる。「雑草さん、ありがとう」という気持ちで草に向かうと疲れません。

以上、九州東海大学農学部教授 片野学氏の講演「有機農業の明日を考える」の抜粋の抜粋文です。
この文章は、いきよしかずさんのFBに、「素晴らしい論文ですので再再度アップします ■■ 野草(草と呼ばれている)の話ですが、虫(害虫と呼ばれている)や昆虫(同左)についても同じと考えています。」というコメントで紹介していたものです。
この講演録を読むと、草刈りをしながら「こんちくしょう」などと言ってはいけないと、反省させられます。う~む・・・・にしても、草刈りはシンドイなぁ。

片野学氏の講演録はここから

雑草について考える
講演「有機農業の明日を考える」
から抜粋
九州東海大学農学部教授 片野学氏
この講演は、九州生産行程管理者講習会において行われたものです。90分の講演のなかから、雑草と病害虫に対する考え方でたいへん示唆にとんだ部分を抜粋したものです。文責は編集部。

雑草の話を私はよくします。雑草がこの世になぜ存在するのか。雑草とはいったい何か。病害虫とはいったい何か。薬をかけてはいけないとなると、発想が全部変わってきます。なぜ草が生えてくるのか、なぜ病気がつくのか、なぜ虫がつくのかということを、ここ20年間くらい延々研究しています。雑草は自然生態系には存在できません。天然林とか天然の原野、あるいは川の横では、雑草は成長できません。種を蒔いても生きられない。雑草は昔からあったわけではありません。雑草という植物がこの地球上に登場したのは、人類よりも後です。人類は500万年前です。雑草の登場は10万年くらい前です。氷河の時代から登場しました。日本でも4回氷河が襲っています。実は、雑草の第1起源は氷河時代だと教科書に書いてあります。とても大切な記載だと思います。なぜ氷河時代に雑草が誕生してくるのか。

地球表面はものすごく美しいみどりに被われていました。ところが北極、南極から氷河が下りてきて、美しいみどりの衣を、このグリーンカバーを支える薄皮一枚の土壌を全部はがしてしまいます。そうなると、残ったところは、まったくの裸地ができてしまいます。不毛の土地です。地球をガイヤという生き物として考えるということを、イギリスの物理学者のラブロック博士が書きました。ガイヤ仮説、地球そのものが生き物である。たぶん当たっていると思います。

氷河によってはがされた土地は、裸の土地で不毛の土地です。
人間に例えれば、私たちは転んで怪我をすると傷口ができます。しかし、いつの間にか新しい皮膚を作っていく。あるいは、傷口がいつの間にか治ってしまう。こういう現象が起こります。地球が一つの生きた個体だと考えると、氷河によってはがされた土地は傷口ではないか。当然、地球は傷口を癒すために努力をする。普通の植物は不毛の土地では生活できません。地球は巨大な力を持って、一年生草本、木ではない短期決戦の植物を出現させる。1年生草本とは、1年で芽が出て花が咲き実をつけるものです。1年生草本が地球上に現れたのは、それほど古い話ではありません。

地球上に草が登場するのは、今から2000万年前だとわかっています。古生物学には書かれています。それまでは、地球は温暖だったので、全部木でした。木と草の違いというのは、芽が地上にあるのが木で、芽が地面の中にあるのが草です。植物学的には草と木の違いだけです。今から7000万年前の白亜紀の地球は、寒冷と乾燥状態に突入します。今まで生き物が経験しなかった寒冷と乾燥という地球の巨大な気象異変があり、芽を上に置いたら寒さで死んでしまう、芽を守るために地面の中に入れ生き延びた。種にして寒さと乾燥から身を守った植物たちが1年生の草です。南極や北極の植物の本を読むと、雨が降るのはほんの一時です。1カ月経たない間に芽を出して、花を咲かせ、実をつけて、また、種で1年間堪え忍ぶ。短期決戦の一年生草本の中では、選抜隊が選ばれ、普通の植物なら発芽して生育することができない不毛の土地に生活できるようにするために突然変異が起こりました。この植物が雑草なのです。非常に厳しい条件の中でも成長できる。

雑草の第2起源は1万年前です。人間が農業を始めた時期です。人間が木を切り倒して土を耕す。今度は人間が地球表面をひっぺ返し始めました。4大文明の発祥地が全部砂漠になり、荒廃した土地になりました。人間の農業がやはり未熟だったんですね。有名な言葉があります。「人間が通った後に砂漠が残った。」まさに人類の農業のまずさです。結局、砂漠化させてしまった。もちろん一番大きなことは塩類集積です。これも耕すことによって、塩類が地上に吹き上げてしまった。雑草とは何か、結局、堆肥を施す役割と同じです。死んだ不毛の土を生きた肥沃の土にする。このために生えてきたのではないか。

自然を観察しよう
「草取りが大変だ。」とみんな言います。私もそうです。雑草を取るときに、どういう姿勢で草に向かったらいいのか。これも笑い話がたくさんあります。意味がよくわかっていない奥さんやご主人がやると、草取りは単なる労働で辛い労働にしか過ぎません。
まず、雑草たちをよく見て下さい。実に美しい生き物です。葉っぱも花も根っこも実に美しい。そして、実にたくましい。死んだ土地を生きた土地にするために生えてきてくれる草たちですから、草を抜くときにも雑草に感謝しながら抜いていく。ものに感謝しながら農作業をやると、彼らが言っていることもわかってくる。「このやろう」と思って雑草を抜くと、すぐに疲れる。「雑草さん、ありがとう」という気持ちで草に向かうと疲れません。病害虫もそうです。熊本、九州ではウスバキトンボという黄色いトンボが飛んでいます。最近全体的に薬の強い物がなくなったせいかもしれませんが、昔、赤トンボはオーガニックの田んぼの上だけ飛んでいたという観察がたくさんあります。隣の農薬をふった田んぼはエアカーテンが敷かれたようにUターンするという観察がたくさんありました。最近は少ないかもしれません。ミカン山とか畑でも、トンボやモンシロチョウの行動を見ていると、農薬をふられた農耕地には入らないということも観察されている。皆さんも観察して下さい。カエルの鳴き声はどっちなのか。ホタルは一番敏感です。病害虫で一番わかりやすいのはウンカです。ウンカは30センチの畦の右と左、弱った作物しか攻撃しません。元気いっぱいのオーガニックの稲であれば、ウンカが行ってもまた逆もどりする。「俺の来るところじゃなかった。」と、弱った稲のところに行く。たくさん観察があります。メイチュウもそうです。つまり、病害虫とは何かというと、病害虫という特殊な生き物たちを作り出して、この弱ったものたちを攻撃して、一刻も早く土に戻してやる。自然浄化作用で地球の表面をきれいにしましょう、というように考えると全部つじつまが合ってくる。

私の大学時代の先生は大変面白い先生で、「大学でゼミをやるよりも農家から学んでこい。」という人でした。いろいろな試験場にも行きました。大正時代から化学肥料プラス動物性の肥料(昔は馬糞で今は牛糞)をずっとあげつづけている水田が日本に何カ所かあります。会津坂下に福島県農業試験場の会津支場があり、これが一番古かったと思います。
この田んぼの稲の根を調べに、助手の先生と私が派遣されました。出穂期と収穫期に2度ほど調査に行きました。根を調べるので、土ごと丸ごと取って根を見ます。化学肥料を長年やった田んぼの土はカチカチです。改めて唖然としました。また、青森県黒石市に青森県農業試験場があります。埼玉県鴻巣市の農業試験場にもあります。ここはレンゲ連用田もありました。これら3カ所の調査に行ったことがありました。収量は全然落ちません。化学肥料と糞尿を何十年もやり続けた稲は、解体していてニカメイチュウを何度も見かけました。とにかく固くてカチカチです。しかし、収量は固さとは関係がない。なめると苦いです。味も違います。

結局、雑草はこの冷たい乾いた、固い、苦い、死に損ないつつある地球表面に、まず芽を生やすことによって、固い土を柔らかくする。そして、自らの根からはいろいろな物質が出ています。糖類、アミノ酸、ビタミン、各種の酸も出ています。
いろいろな物質を植物の根から出して、そして、土壌微生物を養っています。土壌微生物はそのお返しとして、例えば、リン酸を吸収しやすい形で植物にお礼として差し上げる。根粒菌もそうです。根粒菌は豆科植物の、根の中に根粒菌が食い込むので、豆科の植物から栄養分をいただいて、根粒菌は空中チッソを合成して、植物にチッソのお返しをしている。根粒菌の場合は根っこの中、蘭や松の根は外生菌根菌、根と菌が共生関係で根の一部になっています。根から物質が出るよりもっと確実に植物から養分をいただくシステムになっています。とにかく、いろいろな物質を出すので、豊かな土壌微生物の世界が必然的に作られます。有機物がどんどん溜まっていきます。そうすると、保温力が増します。さらに、団粒構造が順次発達していくので、乾いた場所と湿った場所が併合してきます。これは実に劇的で、私が聞いた中で一番びっくりしたことは、北海道の経験です。春遅く、あるいは秋早く霜が降ります。霜が降りると、畑や田んぼや果樹園からは上昇気流が出ます。この話は有機・自然農法の畑でした。有機・自然の畑の地温は温かいので、霜が降りてくると畑からの上昇気流が立ち、霜を自分の畑には降ろさせないで、霜の害から防げたという経験があります。九州ではおそらく11月から12月だと思いますが、初雪が降ったときに、どっちの畑、どっちの田んぼが早く雪が溶けるかが勝負です。オーガニックをやっている畑等々では、当然地温が温かいので、雪が降っても化学農法で冷やされた土地よりも早く溶けなければおかしいです。

知る喜び
有機の非常に大切なことに、自分の目で観察する喜びがある。「あっ、こうだったんだ。あっ、こんなことって起こるんだ。」と。人から教えられることももちろんありますが、自分の目でいろいろなものを観察して、それが生きがいになるということです。皆さん方もぜひ、優れた先輩・諸兄から学ぶだけではなくて、自分の目で観察をして下さい。つまり、雑草と聞いたら、普及員の皆さんとか普通の農協の指導部なら、「この雑草が出たら、この除草剤で叩くか。」という発想しかないです。私たちは常に違います。雑草はよく観察すると実に美しい植物です。自分の目でよく見て「ああ、そういうことなのか。」と気がつくこと。そして、ただ見るだけではなくて、農業は実験ができます。私が最近とてもうれしい話で、矢部の岩部さんという方がいます。もう道楽農業だと。米糠除草法を我々の研究会で4月に勉強をしました。合鴨をやめて米糠でやっています。やりすぎて被害がたくさん出た。でも、本人は全然違う。本人は「初めてだ。毎日田んぼに行って土と稲の変化を見るのが楽しくて楽しくてしょうがない。」と言います。これは絶対に金に換えられない楽しみです。稲がどうできようが関係ないと。ここまで来ると、稲は最終的に良くできるんです。あきらめの気持ちを通り越すと、たいていうまくいく。欲をかくと損をする。この世界は、欲をかくと良くできない世界です。非常に面白い。この世界は程があると言います。だから、有機の明日というのは、実は人間形成上非常に重要です。人間が変わる。

お金で買えない世界、これを金にしようと、経済的評価を与えるというのが、新農基法だと思います。例えば、日本の水田が果たしている役割は、洪水防止機能や景観保全機能などたくさんあります。農水省の研究では4兆円くらいの試算になる。日本の森林の果たしている役割は11兆円。林野庁の国有林の赤字が1年で簡単にペイできる。これから私たちの21世紀は、環境保全型農業とかオーガニックが急速に伸びていかざるを得ないでしょう。今まで我々はお金では買えないと考えてきました。ところが、これからの時代は、お金で買えない貴重な環境保全、国土保全、景観保全、人間の癒しの世界にもつながっている世界を、何とかお金に換算して、オーガニックや環境保全型農業をやっている人たちに対する経済的なサポートをする。それが実は食料・農業・農村基本法の重要な部分です。ですから、今までお金では買えないことを我々はやってきましたが、それだけではなくなるのかも知れません。

島根県の柿木村
最後は、僕の究極の目標です。98年元旦、日本農業新聞の一面トップに載った記事です。
山口県との県境の島根県柿木村という山の中の村があります。柿木村には有機農業研究会の組織があります。ここは選択的規模拡大、単作規模拡大の農協路線では無理だということで、自給する村づくり運動をやってきました。売る農業を見直して、自給する村づくりをやった。高齢化が進み、60歳、70歳のおじいちゃん、おばあちゃんばかりです。ところが、ここの村は減反による耕作放棄地がゼロです。そして、ゲートボールで遊んでいるおじいちゃん、おばあちゃんがゼロです。みんな農作業をしている。なぜか、理由は簡単です。ゲートボールなんかやっていられない、高齢者の年間所得が600万円です。遊んでいられない。それだけじゃなくて、生協などが向こうから「お宅のものを売って下さい。」と来るんです。売りに行く必要がない。お客さんいらっしゃいで、みんなに喜ばれる。ここに載っているうれしそうなおばあちゃんたちの顔写真。これは金を持っているだけの顔じゃないですよ。人様に喜ばれているという喜びに満ちあふれている顔です。願わくば、有機農業は必然的に小さく小さく、自給する小さな単位で「Small is beautiful」ということで、柿木村のようになればいいですが、なかなか何十年かかるかわかりませんが、一つの柿木の経験は私たちオーガニックに携わる者の究極の目標だと思います。村々からは死ぬまで元気なお年寄りたち、死ぬ前の日まで働いて悠然と死んでいくという日本の美しいかつての死に方、そういう美しい伝統をオーガニックを起点にして、柿木のような自給する村づくりはオーガニックにしかない。(拍手)

いきよしかずさんのFBより