山蕗の佃煮を食べて縄文人の幸福感

 この時期になると楽しみの一つが山菜摘み。たらの芽はもう終わりだが、わらびや山蕗が出ている。


   “丹波の人”は、なぜ山菜摘みをあまりしないのだろう。もちろん、する人はするが、しない人のほうが90%という感じかな。実にもったいないことだと、丹波に移住したころ(9年前)はよくそう思ったものだ。
 ところがである。ここ数年、ぼくも当初のころに比べると、あまり熱意がなくなっていた。おそらく “丹波の人”になって、田舎暮らしにマヒしてしまっているのだ。もったいない!
というわけで、数日前、ミッチィーとの散歩がてらに、すぐ近くの山道にわらびや山蕗を摘みにいった。

雨上がりの山道に木漏れ日がさして、勢いよくのびた草の間に野生すみれが群生していたりする。思わず、ハッと息をのむ美しさ。
毎年同じところに出るわらびは、もうだいぶ摘み取られている。でも目を凝らしながらゆっくり歩いていると、草の間にポツ、ポツと見つけられる。なんだが、子どもの宝探しゲームでもするように愉しい。10分ほどで手のひらいっぱい摘んで満足する。群生しているところも知っているが、わらびはこれで十分だと思う。
だが、山蕗のほうはそうもいかない。両手いっぱい摘んでいっても「これだけ?」と、カミさんに言われてしまうからだ。というのも、山蕗の佃煮をつくるのに、弱火でコトコトと煮込んで半日以上(20時間?)はかかる。山蕗の佃煮は、酒の肴によし、焚き立てご飯によし、おむすびの具にもよし。ぼくがペロリと食べてしまうから、鍋一杯になるくらい摘んでいかないと料理のし甲斐がないというわけだ。

犬を連れていたら思うように摘めないので、いったんミッチィーを家に連れ帰り、出直した。それから約1時間。土手や山道などを歩きまわり、大きめのだけを摘み、家の庭に生えているのも摘んで、カミさんのご要望どおり、鍋一杯になるほど(約1kg)山蕗を収穫した。
翌日、さっそくビールのつまみに。少し苦みのある土臭い山の香り。なぜか、3500年前の縄文人にもどったような幸福感。
「えっ、もうこんなに食べてしまったの?」とカミさんを呆れさせる。それでも遠慮しながら食べている。放っておいたら、鼻血が出るほど食べてしまうだろう。
大好物の山蕗の山菜摘みに関しては、まだ、“丹波の人”になっていないのかもしれない。村長 平野