雨の日の禅問答、そして気になる無蛾さんは?

終日、冷たい雨。畑もできないし、坐禅にはもってこいの日だ。2カ月ぶりに「あけぼの坐禅会」にいった。

先月は所用で参加できなかった最明寺の坐禅会。毎月1回、28年間も続いているが、この春、住職の急病のため4カ月ほど休んでいて、9月から再開となった。
紅葉する里山はしんと静まり、雨の音がするばかり。1坐40分があっという間にすぎた。座っていても心落ち着かないこともあるが、今日は15分も座ったかな、という時間感覚だった。
今日(17日)の参禅者は10人、初めて見る若い女性もいた。
昼食のあと、しばらくして30分ほど太極拳体操(?)で体をほぐしてから1時間ほど座談。宗教や哲学の話題ばかりでなく、現代世相のこと(ひきこもり、イジメ、自殺)など、もろもろの雑談だ。
大槻住職からは、空き家になって綾部の生家が、地元NPOのはたらきで「禅センター」として活用されることになった、という報告があった。
「ありがたいことですが、どこまで続くか・・・とにかく続けるということが大事。坐禅したからといって、効果というか、ご利益というものがなかなか目に見えてわかりませんからね。だからこそ坐禅はいいんです。自己との対話だから・・・」
「自分との対話で、退屈しませんか。寂しくないですか」とある人が反問する。
「そりゃ、ぼくだって寂しいときもありますが、退屈はしないですよ」と住職はあくまで真面目に応えている。
明日は丹波市の市長・市会議員選挙だが、そんな俗世間の話にはならない。
ある人の高尚な話題テーマを受け取って、ぼくは言った。
「先日、夢枕獏の『沙門空海 鬼と宴す』という小説をおもしろく読みました。その小説で、この世でもっとも大きいものは何か、という禅問答的な問いがあって、若い空海がずばり応えるんです。空海は、何と応えたと思われますか?」
すると住職は、
「それは、心でしょう」と即答した。
「そうとも言えますが・・・言葉だと、空海は答えるんです。スゴイ回答ですよね」とぼくが言うと、
「そう、言葉でしょう。真言・・・」と先の話題提供者も応じたのだった。
普段、野菜のことや天気のこと、人の噂話などが田舎の常で、こんな高尚な話をすることはないが、この坐禅会ではけっこう真面目にこういう議論が自然に出てくる。坐禅でひとりでも多くの人を導きたいと願っている、住職の優しいお人柄がそうさせるのだろう。

 午後の坐禅は参加せず、座談がおわってから帰宅した。
そして気になっている勝手口の無蛾(ヤママユガ)さんが、まだ同じ場所で瞑想しているかどうか、たしかめてみると、いました、いました。今日でまるまる4日になる。その前は、2匹でカーマスートラ(合体)をしていた無蛾さんにちがいない。
写真のとおり、終日、木の椅子の角に頭を天に向けて張り付いたままのポーズ。そこは屋根の下で、かろうじて雨に濡れないでいるが、瞑想するにふさわしい処とは思えない。いったい、何のために、なぜこんなところにいるのだろう? 退屈してないか?寒くないの? 腹が空かないの? 
「無蛾さん、あなたにとって、この世でいちばん大きいものはなんですか?」と訊ねてみた。
「・・・・・・・・無・・・・無・・・・」
無蛾さんには、返事をするにも「言葉」がない。一度でいいから、無蛾さんの視点からこの世を眺めてみたいものだ。