落花生に 早来春をおもう 秋の暮

昨年は、イノシシに荒らされて一粒の収穫もなかった落花生。この春に、残っていた種で苗をつくり1畳ほどの広さに植えていた。


昨年の冬、家の近くの丹波カルデンはその周囲を鉄柵でめぐらしたおかげで、いまのところイノシシの被害は出ていない。落花生畑はその柵内にある。
堆肥がよく効いた土がふかふかで、夏草をていねいに抜いていたせいか元気に育ってくれた。千葉県特産の落花生は、千葉生まれのぼくの大好物だ。ピーナツ味噌(味噌ピー)は弁当のおかずの定番だった。
 早く収穫したいとうずうずしていたが、2週間ほど前から風邪をひいてしまった。風邪がまだ完全に治まっていないけれど、土曜日になると畑仕事をしたくなる。畑では山の芋、落花生、小豆、そしてかぼちゃ畑の柵の整理、薪づくり、ぶどう棚作り・・・やらなければいけないことが山ほどたまっている。
日曜日(11日)は雨の予報なので、本日(10日)、デスクワークを急いで済ませ、昼から畑へ。
まず、スイカ、ウリ、かぼちゃを植えていた柵と防鳥網を取り払う作業。柵の周りは草ぼうぼうで、網に草がからみついている。草刈り機で網の周辺の草を刈ろうとすると、網がからんでしまったりするから放っておいたのだ。
柵の内側(30坪ほど)は防草シートを敷いているので草は生えないが、柵周辺が長い草におおわれている。夏場は、草のなかにうっかり手を入れるのは危険だ。こんなところにいるはずがないマムシが、いるかもしれないからだ。現にこの夏、すぐそばのハーブ畑でマムシが出た!
 この草むらのなかにかぼちゃがいくつか残っているにちがいない。そう思いながら柵をはずし、網をからんだ草から剥がすように取っていった。なんとなんと、いくつかどころじゃない。よく完熟したもの、まだ青いもの、ピンポン玉ほどしかないものなど、中小のかぼちゃが40、50個出てきたではないか。苗は5本しか植えていないが、これまでを合わせて150個ほどの収量だ。炎天下にも大雨にもめげず、太いツルをどんどん伸ばし、秋風が吹いても花をつけるかぼちゃの生命力にはあきれ果てる。
この作業の間、ミッチィーが退屈してボール遊びをしろとじゃれてくる。ぼくの軍手をくわえて逃げて、おいかけっこをしたがっている。ボールがなかったので、ピンポン玉ほどのかぼちゃを投げると、くわえこんで、ひとりで遊びだした。

 柵と網を整理してから、落花生掘り。土がやわらかいので、根元をもって引き抜くと、出てくるわ、出てくるわ。いつも千葉から送ってくる落花生より一回りも大きい粒がけっこうある。初めてにしては上出来だ。
落花生は、その名のとおり、花が咲いたあとに、落ちた花芽からひも状のもの(子房柄という)が伸びて土中に入ると、その先端が膨らんで実が成るのだという。この夏、可憐な黄色い花が咲いたときに、茂った葉叢をのぞきこんでみたのだが・・・、子房柄らしきものは確認できなかった。なにはともあれ、自然の仕組みはエライ!
冷たい小雨がぱらつき、暮れはじめていたが、夢中になって掘っていた。
「いやー、すごい、すごい。たいしたもんだよ。やっぱり世話をしたかいがある」なんて、声もなく独りごとを言っている。今晩のビールのつまみができた。ちょうど黒枝豆がなくなったころだけに、当分は落花生を楽しめそうだ。
ゴザに広げてみたらたいした量ではない。ちょっとがっかり。まだ畑には半分残っているけれど、さっそく来年のタネ用にと、大きさと形のよい粒を50個ほど寄り分けたておいた。来年は作付け面積4、5倍にするつもりだが、いずれにしろ家庭菜園の延長である。
蒸し落花生を荒塩にまぶして食べながら、「来年はピーナツ味噌をつくろう」と、早くも来春の畑をイメージしている。同時に、薪ストーブの薪づくりをいつしようかと、つらつら考えている。

以下、ウィキペディアより
落花生
ラッカセイ(落花生 Arachis hypogaea)は、マメ科ラッカセイ属の一年草。別名はナンキンマメ(南京豆)、方言名は地豆(ぢまめ、ジーマーミ)、唐人豆(とうじんまめ)、異人豆(いじんまめ)など。中国語は花生。福建語・台湾語は土豆。英語名のピーナッツ、peanutは日本では食用とする種子を指す場合が多い。ground nutともいう。南米原産で東アジアを経由して、江戸時代に日本に持ち込まれたと言われている。
種を播いて40 ~ 50日たつと、黄色い小さな花が咲く(朝方咲き昼頃にはしぼむ)。2 ~ 3日すると、おちた花芽からひも状のものが伸び(子房柄という)、これが伸び続けて土中に入ると、その先端が膨らみ落花生の実をつける(落花生の名の所以)。
ラッカセイの原産地が南アメリカ大陸であることは確実である。最も古い出土品は、紀元前850年ころのペルー、リマ近郊の遺跡から見つかっている。その後、メキシコには紀元前3世紀までに伝わっていた。南アメリカ以外の世界にラッカセイの栽培が広がったのは16世紀である。西アフリカ-ブラジル間の奴隷貿易を維持するためにラッカセイが用いられ、そのまま西アフリカ、南アフリカに栽培地が広がっていく。ほぼ同時期にスペインへ伝わったラッカセイは南ヨーロッパ、北アフリカへと渡っていく。さらにインドネシア、フィリピンへの持ち込みもほぼ同時期である。現在の大栽培地インドへは19世紀と比較的導入が遅かった。日本には東アジア経由で1706年にラッカセイが伝来し、南京豆と呼ばれた。日本で最初に栽培されたのは神奈川県の大磯町である。現在の栽培種はこの南京豆ではなく、明治維新以降に導入された品種である。