『「作りすぎ」が日本の農業をダメにする』?

世界じゅうで、食料は余っている。そしてこれが、先進国を中心に深刻な農業問題を引き起こした。(「なんだ、“食糧危機”はウソだったのか【書評】 橘玲」より)

livedoor ニュース http://news.livedoor.com/ ) 2012年11月10日発行より

「すこし前の本だが、川島博之氏の『「作りすぎ」が日本の農業をダメにする』を紹介したい。 川島氏はシステム分析の専門家で、食糧問題やエネルギー問題など、利害関係者の思惑によって議論が錯綜するやっかいな問題について、マクロのデータを冷静に分析したうえで現状を把握し、未来を予測することの重要性を強調する。本書は、『「食糧危機」をあおってはいけない』や『「食料自給率」の罠』とともに、”食糧自給率”や“食糧安全保障”といった言葉に踊らされる日本国内の議論がいかに不毛なのかを、国連食糧農業機関(FAO)や国連人口局、世界銀行などの公開データを基に徹底的に暴いていく。」
詳しくはこちら http://news.livedoor.com/topics/detail/7124768/

 興味深く読んでいくと、およそ次のような論点である。
→食肉需要による食糧危機説は、ステーキこそが最高の料理だという欧米人の偏見から生まれた妄想なのだ。
→ 世界じゅうで、食料は余っている。そしてこれが、先進国を中心に深刻な農業問題を引き起こした。
→日本国内の農業問題についての議論は、いまだに終戦直後の食料不足を前提としており、食料の過剰(作りすぎ)という現実を無視しているため、まったく意味のないものになっている。
→日本の食料自給率を引き下げたのはコメに対する長年の過剰な優遇策だ。
→川島氏によれば、日本の農業の最大の問題は農業人口が“多すぎる”ことだ。
→農業の競争力をグローバルスタンダードに引き上げるためには、農家の戸数を少なくとも現在の10分の1程度まで減らさなければならない。そうなれば、地方にはほとんどひとはいなくなるだろう。農業の再生と、地方の再生は両立しないのだ。
→食料はあり余っており、いつまで経っても食糧危機はやって来ず、食料自給率は無意味だ。
→日本の農業に競争力があるとしたら、規模の経済が必要なコメづくりではなく、広い土地を必要としない畜産や野菜栽培だということ。オランダの食料自給率はわずか18%だが、トマトやチーズをEU諸国に輸出して大きな利益を上げている。
→日本の農業も、アメリカの大規模農業に対抗するのではなく、オランダのようなニッチ戦略に特化すれば、中国やアジア諸国への輸出を大きく伸ばせるだろう。そのためには、TPPにも早期に参加しなければならない。

だから要するに「TPP参加へ」との結論に導いている。ひょっとして、そのためのプロパガンダかと?

ところで先週、このコーナー(食農の行方?)で、「『農村人口の減少』という創造的破壊」、という伊藤元重氏の記事(http://ing-hompo.com/modules/post/index.php?content_id=483 )を紹介した。
この伊藤氏の記事でも、オランダのトマトの事例を挙げていたので、川島博之氏は伊藤氏と同一人物なのかと勘違いして、この書評を読んでいた。
しかし微妙に異なる。農業の担い手が多すぎることに問題があるというのは、ふたりの共通認識だが、川島氏は「農業の再生と、地方の再生は両立しない」と言い、伊藤氏は逆に、「農村人口の減少で地域経済の空洞化は克服できる」と言う。

 食料自給率をカロリーベースで計算して食料危機を煽るのは日本だけだとよく言われる。西洋の栄養学そのものが間違っているのだから、カロリーベースでの計算はたしかにおかしい。こういう論議が活発化することは農業に対する関心が広まるからおおいに結構だとも思う。
それはそれとして、いつも思うのは、有機農業でがんばっている百姓の気持などは論外なんだなぁ(あるいは知らないのか)・・・ということだ。「農業が好きだから」とか、「農的暮らしや半農半Xの生き方」とか、「地域伝統食文化やコミュニティー」などにまるで関心ないようだ。

ぼくの知っている何人かの有機農家で、少量多品種の栽培(年間50種以上)をして会員に宅配している百姓の年間売上は200万円からせいぜい400万円だ。もっと生産量(売上)は上がらないものかと歯がゆく感じてしまうが、
「給料1000万円を出すから、農業生産の会社勤めをしないか?」
と彼らに訊ねたら、10人中8~9人は「ノー」と言うだろう。
あるいは、「ニンジンやトマト、玉ねぎだけ作ってくれたら、年間1000万円保証するよ」と言っても、「ノー」と応える。
もちろん中には喜んでする人も出てくるだろうけれど、こだわりを持って有機農業をする百姓たちは、貧しくとも自分のスタイルを貫きたいのだ。
「だからどうなの?」と生産性重視の経済学者や企業経営者は言うだろう。それとまったく同じ返事が、彼らから返ってくる。「1000万円? それがどうしたの?」と。
そしてまた、彼らに「作りすぎ」など物理的・時間的にもできない話なのである。   村長 平野