1本筋の通ったオモロイ人生の魚住さん

このWebの「未知なる原発を考える」でもおなじみの魚住隆太さんは環境問題の専門家だが、そこに至るまでの人生がなかなかおもしろい。

芦屋市に暮らす魚住さんは、週末は丹波にきて農的暮らしをたのしんでいる。かれこれ20年になる。いまはNPO丹波里山くらぶの同志でもあり、監査役をしてもらっている。昨日、同メンバーの芦田からこんなメールが届いた。
「里山メンバーの魚住さんのインタビュー記事がありました。魚住さんの人生、いろんな会社を経験されていてびっくりです。時間があったら見て下さい。」

(株)オオスミの社長のブログ「環境を考える」より
1年間52週にわたるインタビューの13人目にご登場頂くのは、魚住隆太さんです。仕事を通しての魚住さんのインタビュー記事は多く見かけますが、今回は、より人間味あふれる部分のお話をお伺いできたらと思います。また、後半では無農薬で野菜やお米を育てている魚住さんもご紹介したいと思います!
まずは魚住さんの学生生活や、どんなお仕事に携わってこられたかについてお話頂けますか?
私は昭和23年生まれの大阪の守口市出身。当時の守口市は大きな電気会社があり、その電気会社の下請け工場が多かったんですが、不良部品がたくさん川に捨てられていました。中学生の頃、それをよく網ですくったんですよ。小遣いをためて日本橋で買ったテスターで、すくった電気部品を一つ一つ当たってみるんです。すると1割ぐらいはまだ使える部品があって、それを集めてトランジスタラジオを作ったりしていました。
-電気や機械が好きだったんですね。
そうですね。それから、工専に進学して電気工学科で勉強したんです。当然、電気の勉強をするんだけど、自分は物理と数学も勉強したかった。ところが4年生になってみると電気の専門の授業ばかり。基礎的な物理や数学がない。そこで4年生の授業を2日だけ出て3日目に退学しました。

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コメント:魚住さんは、気持がよいほどはっきりモノを言う人だなぁ、と思っていたが、このインタビュー記事を読んで納得した。若いころから1本筋の通った人だったのだ。(村長)