自然農法の素晴らしさとその技術  

この記事は、ひょうご在来種保存会が主催した講演(2012. 2. 12 )の記録をもとに、同会発行の別冊『種からの有機農, 自然農』にまとめたものです。講師は、「ぐうたら農法よろづ相談」の西村和雄氏です。


承 前

自然農法と有機農業とはどこが違うのか? よく聞かれるポピュラーな質問である。が、まともに明確な答えを出す方は珍しい。字が違うからといえばそれまでだが、自然農法と有機農業の違いは、一見単純に見えて、その実は複雑に交錯しているようにも見える。私自身は複雑かつ難しいものだとは考えていない。先ずは、この疑問から話を進めてゆこう。なぜなら、どうして自然農法というのか?有機農業との違いは?その本当の意味とは?その違いが説明できたとして、では有機農業にはどのような役割があるのか?それらを区分する必要があるのだろうか?こうした設問にまで、必然的に至るべき問いかけだからでもある。

自然農法では畜糞は使わない
さて、両者の違いについて解説することにしよう。自然農法では畜糞を意識的に使用、あるいは主体として多用することはありえない。わかりやすく言えば、直接に畜糞を使用することはほとんどないと言える。こんなことを言うと、すぐさま反論が返ってくる。鳥が糞をするじゃないか、カエルも虫も糞をしないのか?畜糞を使用しないというのは、不自然ではないか?自然農法だったら、自然にできる糞を否定できないだろう。いささか子供じみた屁理屈とも取れないことはないが、反論するほうはいたって真面目である。どうやら農法の形容として自然の字が冠されていることに、こだわる向きがけっこうあるようだ。それが誤解を産むのだろう。
はっきり言っておこう。意図的に畜糞を使用することはあり得ない:ということだ。考えてみよう、野鳥が10a の農地に千羽もかたまって糞をすることがあり得ようか。そこまで鳥が集合するなら、それは農地とは言えず、野鳥の便所ではないか。
また、こんな話を聞いたこともある。人だって野糞(ノグソ)するじゃないか。だいいち、糞は排泄物として自然物じゃないか自然に帰ってあたりまえ。農地に入れてどこが悪い。だが、この人は人糞尿が、かつてもたらしていた弊害をまったく知らないで、現代を迎えた水洗便所が既設の設備になった時代の方でしかない。排泄物を落下して受け、貯蔵する方式のトイレでは、恐らく排泄が不可能だろうし、なぜ貯蔵するのか?理解できないだろう。
当然のことながら排泄物は貯蔵し、発酵分解させた後に肥料としてのうちに散布していたのである。農地の片隅に設けられた排泄物の野外貯蔵施設もあって、野壺と称していた。
郊外の農地へ遊びに行き、その中へダイビングした悪童もいたのを私は知っている。実に臭かった。閑話休題。だが、それには弊害も伴っていた。なぜなら、人糞尿には塩、すなわち塩化ナトリウムがたっぷりと含まれている。例外的に人は塩分を意図的に摂り過ぎる動物である。それゆえ江戸時代に人糞尿を農地に施用するのが常態化したとはいえ、生で施用することはなかったし、一定期間静置発酵させてから希釈し、農地、とくに畑に施用したとしても、頻繁に施用することは戒められていた。なぜか、その理由は、塩分が含まれているために、土壌に多量の塩分を施用することになり、その結果、団粒構造が破壊されて単粒化し、土壌が堅くなるからである。要するに、人糞尿とて自然物には違いないが、なにせ人が多すぎるのだ。
また、筆者は実際に目撃したことがある。自家製のトイレを作り、便槽に置いたトレイで糞尿を落ち葉と混ぜるようにし、それらが一定量貯留すると発酵堆肥槽に移していたようである。だが、かれらはそれが誤謬であることに気づかないでいた。その理由は感染症の循環を断ち切るのが難しいこと。あるいは寄生虫が新しい宿主へと移行する手助けともなってしまうのである。

自然農法がもたらすもの
自然農法では、積極的に多量の有機質肥料を作物に与えることはない。なぜか?その理由は、土壌そのものに注目しているからである。
土壌生物。ミミズ・ダニ・トビムシ・センチュウをはじめ藻類・菌類・市場菌や放線菌など、それこそ無数と呼べるほど多くの生物が棲息し、うごめいている。地球の直径およそ6400km。この巨大な地球の表面に薄くへばりついているのが土。その地表から高々10メートルにも満たない厚みに生物が集中して生息している。
タマネギを地球にたとえれば、茶色いパリパリの薄皮一枚の厚さにも満たない。そこに集中している無数の生物を、どのように生かしながら作物生産を可能にするのか? こそが自然農法に与えられた技術的使命でもあると筆者はかねてより考えている。いや確信している。

低栄養生長
その根幹をなす技術にはいくつかあるが、先ず以って大事なのは作物成長である。いかにして栄養分を減らした土壌で作物生長が可能なのか?それも、食害昆虫や病原菌に侵されにくい健康な作物を生長させ得るかに、かかっている。
そのために大切な技術が育種。肥料分が少なくても、うまく作物の体内で養分を使いまわしながら生長するような遺伝子を創り上げる育種技術。それがあって初めて低栄養生長が可能となる。また低栄養生長作物を支えるべき、土壌生態系をどのように構築するのか?それが課題でもある。
ウェルネス
ここで新たに「ウェルネス」という言葉を付け加えておきたい。ウェルネスとは、健康で快適な生活とでもいおうか。ある意味、悪しき欧米化によって、外来語が本来あるべき日本語の存在位置を定置できないままに使われることが多くなっているので、あえてこのままにしておく。農水省では家畜の健康にウェルネスを使って、「家畜福祉」などという情けない訳語を創ったそうだが、本当にすべってしまいそうになる。世の中そろそろ、脳みそ福祉をかんがえたほうがいいかも。
さてウェルネスだが、実例を挙げておく。三十数年前に筆者が見たダイコンの姿である。自然農法で、それも踏みこみ草質堆肥を入れただけのダイコンが見事に生長していただけでなく、収穫間際になったダイコンの白い肩に、大きな双葉がついていたことである。それは、ダイコンが発芽直後に出した側根、すなわち双葉にそれぞれつながっている根が、収穫間際まで生きているという驚くべき証拠なのである。それこそが土壌のウェルネス。

自然農法の素晴らしさとは
双葉だけの問題ではない。下葉が枯れてくるというのは、土壌そのものがウェルネスの状態にはないことを意味するのである。そう、自然農法は土壌そのものから作物、そして家畜や人の健康までをも、ずっと貫流するアイデアとしてのウェルネスを大事にする。
それこそが、タマネギの薄皮にも満たない土壌を大切にし、あまたある命を全て受け入れ育むための技術であり、自然農法なのであると筆者は考えている。
さて、以下には回りくどい説明とはおもうが、引導を渡すためにも畜糞がもたらす弊害を述べておく。それが自然農法の意味をも、別の側面から裏付けることになるからである。じつは有機農業には多々、問題を抱えているからである。

有機農業と畜糞
有機農業では畜糞に対する抵抗、というよりは畜糞の取り扱い方については、とくに考えていないようである。それが著者の見た有機農業四十年の結論。ようするにあまり考えていないのだ。
このいい例をのべてみる。規模は小さいが提携運動の農家では、年間に最低60 品目、多い方では80 もの作物種を作って出荷する。いわゆる少量多品目栽培である。提携相手の消費者に隔週か、取り決めた間隔で野菜を送るためには、毎回少なくとも5~6品目は届けなければならないからである。秋、いかにキャベツが上手に(うまく作る人はほとんどいないが)つくれたとしても、毎回何個ものキャベツを届けるだけでは消費者は怒り出す。私、青虫じゃないわよ。とくる。ここに提携運動の問題点があるのだが、有機農業運動家の方々は全く気が付いていない。
それも問題なのだが、毎日の現金収入を得ようと養鶏を同時に考える方が実に多い。鶏を自給飼料で賄えばよいのだが、少量多品目で毎日の農作業に球暇取られるために、つい飼料を購入してしまう。消費者の中には卵の黄身が薄いと文句を言う場合もあり、色が濃く出る購入飼料に頼ってしまう。
問題は購入飼料である。少量多品目栽培農家が卵を売って現金収入を得るのはいいのだが、鶏糞が多量に出てくる。ある程度まとまった収入となるには、少なくとも200 羽は飼養しなければならない。だが、200 羽の鶏糞が消化できる畑の面積は、少量多品目栽培農家の経営面積をはるかに凌駕する。一般に50 アール程度が少量多品目栽培の経営面積とすれば、200 羽の鶏糞が処理でき、完全に土壌への影響が払拭される面積となれば、最低でも1 ヘクタールは必要となる。それも連年施用は絶対に避けるべき鶏糞量なのである。なぜこんなことになるかというと、畜糞の中でも鶏糞は、もっとも窒素とリンを多く含んでいるからである。ちなみに窒素を基準にすると、多い順に鶏・豚・牛(肉牛・乳牛)・馬となる。刑事の読みを語呂合わせにすると、ケイ・トン・ギュウ・バ、覚えやすいので記憶してほしい。この鶏糞が、小さな経営面積に集積すると、実は大変な問題が起きる。その問題とは?収穫物が腐りやすくなり、日持ちがしなくなるという、困った現象が付きまとうのである。

リン過剰がもたらすミネラルの不足
鶏糞にはリンが多く含まれている。鳥類は哺乳類とはことなる、独自の進化を遂げた生物だが、それが有機農業に禍根をもたらすとは。
鶏糞はよく効く。実によく効く。その理由は、先ず鶏糞のpH が中性より高く、鶏糞中の窒素が速やかに放出されやすいからである。それが鶏糞投与に走りがちな魅力を生み出してしまう。言ってみれば、思うような効き方をしない鈍重な有機質肥料に比較すると、化学肥料並みの効果を実感できるからである。
たとえは悪いがその効用が絶大であるがゆえに、あたかも覚せい剤の濫用と似た効果を、使用する側の人にもたらしてしまう。その行く末に待っているのが何かといえば、食害昆虫の誘引や病原菌の誘導因となることは、有機農業がそもそも生まれた原因である化学肥料の濫用からも明らかな結果である。もっとも化学肥料には農薬類が付きまとうため、それで以って結構しのげることが、現代農業に至るまで連綿と続いているのだが。
しかしながら、肥料分の多用が生み出す、作物の生長促進効果に期待する、心理的な誘惑効果は後を絶たず、結果的に畜糞の施用を戒めながらも、やがては畜糞を許してしまうことになってしまう。広告をふと見ると、巨大なダイコンを誇らしげに掲げている写真を見ることがある。それを見る筆者の感想は、「この少子化の時代に一体だれが、こんな化け物ダイコン食べるのかなあ?」これではまるで大鑑巨砲主義の象徴「戦艦大和」と変わりないじゃないか。後生大事に温存させた揚句、沖縄特攻に駆り立てられて海の藻屑と消えた哀れな存在「大和」。この巨大ダイコンは、もしかして日本人好みの判官びいきという奴かもしれないなあ。
さて、話題を鶏糞に戻して、終わりにしよう。
鶏糞には窒素に次いでリンが多い。カルシウムも多いのだが、そのリンが問題になる。鶏糞を多用すると、カルシウムの不足状態が生じてくる。鶏糞多用農家の土壌で、pH が6.5を越え始めると危険信号。典型的なカルシウム不足症状としては、トマトやピーマンの尻腐れ・キャベツやブロッコリーの芯の中空化あるいはスが入る症状。そしてどの野菜にも共通しているのが、収穫後に日持ちせず、腐りやすくなる。調理時の特性としては、包丁で切るときにバリバリ音がせず、抵抗なくスカスカきれる。煮ものでは荷崩れしやすい。など、ロクなことがない。それらの症状はすべて、細胞壁の構成成分としてのカルシウムの不足なのである。人間に例えれば、鶏糞の食べ過ぎで肥満状態になった(メタボ)ところに生じた骨粗鬆症のようなものか。もしかすると脳みそまでがスカスカになってたりして?心したいものではある。
昔の人が土をどのように考えていたか?孔子が語っている。
為人下者 其猶土乎。 植之則五穀生焉 掘之則甘泉生焉
禽獣育焉 生人立焉 死人入焉。 多其功而不言
「人の下になるもの、それ猶、土か。之に植えれば則ち五穀生ず。之を掘れば則ち甘泉出ず。禽獣育ち、生ける人を立たしめ、死せる人は入る。その功多くして言わず」
「土」こそ素晴らしいではないか。その恵みと包容力の大きさとを真に実感する者こそ、百姓たるにふさわしく、人の糊口を満たし、健康を支えるべき人なのだと、私は思っている。それは自然農法でしかあり得ないし、それゆえにこそ自然というすごい存在に対して畏敬と畏怖とを感じざるを得ない。