奄美・夢の島を想う(5)海につながる

日本列島は、海に囲まれた島ではなく、海に開かれ、海にむすばれた海洋国家なのだ。奄美ツアーの3日目(7月8日)、カヌーをこぎながら、ふと思った。




このツアーでカヌーに乗れるとは思っていなかったが、スケジュールの余裕ができたというのでマングローブ原生林(国定観光公園)に案内された。参加者11名のうち、ぼくを含めて希望者だけ3名がカヌーに乗った。
マングローブの繁茂する川に沿ってわずか1時間ほど遊んだにすぎないが、引き潮に乗ってこのまま海(太平洋)へと漕ぎ出したい誘惑にかられた。人々は遠い昔から、そうやって水平線にかすむ島から島へと小舟をこいで日本に渡り、大陸へも渡ったのだ。
久しぶりに海を眺め、海と遊び、島から島へ渡ったことで、この日本列島が海にむすばれた海洋国であることを改めて考えさせられた。

縄文の昔から海とつながる社会
実際、日本の国土面積はジンバブエに次ぐ世界62位だが、排他的経済水域面積ではカナダに次いで世界6位の海洋大国なのだ(旧ソ連より大きい)。農耕民になると、ついそのことを忘れがちになるけれど、稲作にしろ、さまざまな野菜の種にしろ、その多くは海の向こうから渡来したものである。夏野菜のきゅうり(6世紀)やナス(7世紀)、かぼちゃは16C、トマトは17Cに入ってきたという、元は外来種だ(参考:「野菜の歴史」)。ぼくらもまた・・・。
稲作技術は弥生時代(紀元前1世紀ころ)に入ってきたと学校では教えられたが、縄文晩期には瀬戸内海や北九州の一部ですでに始まっていた、というのが近年の定説になっている。
岡本太郎に多大な影響を与えた縄文人はアーティストでもあった。縄文人というと毛皮をまとって裸足で弓矢や石器を使って獣を追いかける狩猟民というイメージは誤りで、「それは徹底的に消してしまわなればいけない」と歴史家・網野善彦は書いている。 
「山民と海民との間の分業は縄文期には成立しており、弥生時代には平地民との間にも分業が確立したと考えられますから、縄文期の塩や魚貝、あるいは石器の原料(黒曜石など)の交易を媒介して原初的な商業活動は、弥生期以降さらに活発かつ広域になったと考えられます。中略。
日本列島の社会は当初から交易を行うことによってはじめて成り立ちうる社会だった、厳密に考えれば『自給自足』の社会など、最初から考えがたいといってよいと私は思います」(『日本の歴史をよみなおす』網野善彦 ちくま学芸文庫)
この本は、「海からみた日本列島」という章もあるように、とくに“海人”に視点を置いているところが新鮮だった。その視座は、列島をくまなく歩いて聞き取りした民俗学者・宮本常一にも共通する。 
「いまひとつ日本列島への文化の流入して来る経路があった。それは九州の南から台湾につながる琉球列島弧である。これはシベリア・カラフト・北海道ルーツ、朝鮮半島ルート、江南・朝鮮半島ルートにくらべると、島々の点在と、列島弧に南の文化の北上をうながすほどの強い民族文化の圧力がなかったので、今日一部の学者が主張しているほど大きなものではなかったと思うが、北方ルート、朝鮮半島ルートにそれぞれおなじ歳月が流れているように、このルートにも同じ歳月が流れていると見られる」(『日本文化の形成』宮本常一、講談社学術文庫)
縄文人も弥生人も海とつながりグローカリズム(グローバリズム+ローカリズム)に活動していたわけで、閉ざされた島国のイメージができたのは鎖国政策をとった江戸時代だろう。しかしその時代でも、薩摩藩は琉球・奄美を攻め、海人たちは暮らしを立てるためにさかんに密航していたのである。
山に囲まれた農耕民の暮らしに慣れてしまうと、どうしても海の視点がなくなってくる。TPPが平成の開国かどうかはともかく、日本だけでなく世界中の国々が「交易を行うことによってはじめて成り立ちうる社会」であることは今後も変わらない。しかしだからといって、行き過ぎたグローバルリズムやナショナリズムは、その国も世界も危うくする。やっぱりそれぞれの多彩な地域文化を活かしたグローカリズムが豊かでおもしろい。

国策で奄美特産となった黒糖焼酎だが・・・
ところで、奄美の焼酎の原料となる「黒糖」はその9割が沖縄産で、奄美産はわずか数パーセント。また、もうひとつの原料の米にしてもほとんどが本土からの移入だという。
砂糖から焼酎(黒糖焼酎)をつくることを法的保護によって認められているのは、奄美だけというのに、これはいったいどういうことなのか?
「1953年に奄美が日本に復帰した際、島民はサトウキビとコメを主原料とした焼酎を飲んでいた。だが、日本の酒税法では、ラム酒の原料ともなる砂糖は焼酎に使えない。政府は特例措置として奄美だけで黒糖焼酎の製造を認めた」(『奄美、もっとしりたい』)ということである。
では、なぜ黒糖のほとんどが海の向こうの沖縄産、ということになるのか?
これにも国の政策がからんでいる。黒糖焼酎に使うのは昔ながらの「含蜜糖」だが、奄美では「分蜜糖」をもっぱら製造させているからだという。
含蜜糖というのは、「サトウキビの絞り汁をそのまま加熱し煮詰め、不純物を取り除き固めたもの」で、すなわちこれが黒糖である。
分蜜糖というのは、「含蜜糖と同様に不純物を取り除いた後、一度結晶させて遠心分離機にかけたものを原料糖にし、さらに精製して製品にしたもの」で、精製度が高いほど白い砂糖になり、もっとも精製度の高いのがグラニュー糖、ということになる。
要するに、奄美では白砂糖やグラニュー糖をつくりなさい、その代り「黒糖焼酎」の製造を独占的に認める、ということなのだろう。
これに矛盾を感じるのは島民だけではないだろうが、97年以降、奄美産の黒糖も使われるようになった。その理由となる背景は、「沖縄の農家の高齢化で、含蜜糖の生産量が減ってきた」ためだという。まったく、ややこしいことであるが、いまや奄美にとって黒糖焼酎は地場産業であり地域食文化なのだ。だから島のどこへいってもこの焼酎が出される。そういう深いローカル事情も知らずに、焼酎漬けの3日間だった。
何はともあれ、青い海に乾杯、ごちそうさまでした。


参考:
奄美の面積は709平方キロメートルと択捉・国後・沖縄・佐渡に次ぐ大きな島で、全島ほとんどが山地。年間の日照時間が日本一短い。農業はサトウキビ、サツマイモの生産が主で、近年では、特産フルーツ、奄美大島たんかん、完熟マンゴーなどが有名である。古いデータだが、奄美諸島(全島)の稲作面積は59ヘクタール(94年)、これは丹波市の稲作面積の約100分の1にすぎない。

 
写真提供:友重隆雄さん

参考「野菜の歴史」
http://www.inetshonai.or.jp/~seika/yasai_history01.html