奄美・夢の島を想う(2)

奄美で焼酎の修業をした
 行く先々の百姓家に泊まりながら、“一宿一飯・一千軒“。日本全国をくまなく歩きとおした民俗学の巨人・宮本常一は、こんなことを言っている。

「私はいまはほとんど酒を飲みませんけれど、ある時期、焼酎を一升飲むようになったのは、実は奄美大島へ行って修業したおかげです。その結果胃潰瘍になりました。それで酒を飲むのをやめたんです。それほどうまかったのでございます。うまくなければあんなに飲まなかった・・・・ということになります」(1980年12月10日「食の文化」講演会より)
この宮本の講演録は、「講座 食の文化」の第2巻『日本の食事文化』(味の素食の文化センター)にすべて再収録されている。宮本はその講演の翌年、1981年に胃癌で亡くなった(73歳)。
宮本がとくに多く旅をするようになったのは昭和14年ごろから昭和30年ごろまでだったという。
よれよれのジャンパーを着て、ゲートルを巻いて、背負ったリュックサックの横にはこうもり傘をぶらさげていた。まるで山下清スタイルだが、よく富山の薬売りに間違えられたという。旅館に泊る金がないので、百姓家に“一宿一飯“を願うわけだが、たいていの家ではこの風変わりな旅人を快く迎えたようである。この時代はまだ「古きよき日本」が残っている。
この話でおもしろいのは、宮本の印象によく残っているのは、「米の飯以外」の食事を出してくれた地域だったということ。
「うまくなかったから印象に残ったのではないのです。心がこもっておったから印象に残ったのです」と言って、その地域で日常的に食べられている食事を語っている。
「ずっと南の奄美大島のあたりに行きますと、どこへ行っても焼酎を飲まされまして、それがすごく印象に残っております。焼酎を飲むときに酒の肴として出されるのが味噌ブタでございます。これはブタの肉を厚く切ったやつを味噌の中に漬けておくのです。それがお皿に一枚か二枚でます。これで焼酎を飲むと、それだけでおなかが大きくなってきます」(前著)

3日間の焼酎漬け
奄美の焼酎については、宮本常一が言うとおりである。だが、ぼくらが集うところは地元の人が案内してくれる居酒屋だったから、酒の肴は食べきれないぐらい何種類も出てきた。たしか味噌ブタもあったはずだが、それほど印象には残っていない。むしろブタ肉で印象深いのは、塩茹でしたコラーゲンたっぷりのトンコツだ。これは手づかみでむしゃぶり食べる、といった表現がふさわしく、焼酎の肴にはぴったり。
初日に行った「たか」という居酒屋では、漁師でもある店主が獲ったという尾頭付きの鯛が身のしまりも塩味もちょうどよく、めっぽう美味かった。とかく南方の魚類は北方と比べて身のしまりがなく、亜熱帯魚などは刺身にならないだろうとの先入観があるけれど、翌日、加計呂島へ渡っての海釣りで獲った魚を食べて、その考えは修正させられることになった。
ああ、それにしても、サトウキビを原料とした焼酎のうまいこと! 3日連続、夕方になれば焼酎で乾杯。オンザロックに透明な焼酎(れんと)を次々につがれても、いったい何杯飲んでいるのかわかりにくい。まさか1升も飲んではいないだろう(3日で1升は飲んだかもしれない)。
奄美大島特産「れんと」は、音響熟成とラベルに書いてある。いったいどんな音楽を聞かせているのだろうか? まさかモーツアルトやシューベルトではあるまいが、音響熟成のせいかどうか、ほどよい甘みにすっきりした口当たりなので、悪酔いはしていない(つもり)。その証拠に、スナックに梯子したときは、地元の若者の島唄にうかれて踊りだしたことも、ちゃんと覚えている。これは焼酎のせいではなく、ぼくの母が鹿児島出身という南方系遺伝子のなせるわざである。
3日間だけだが、ぼくも奄美で焼酎の修業をした。おかげで家ではほとんど焼酎は飲まないのに、奄美ツアーから帰った翌日から、「れんと」を買って飲み続けている。真夏の夜の暑さとロンドンオリンピックのせいで寝不足になりながら・・・。(つづく)
 

写真は、幻一の奄美ツアー。トップの写真は「映画ゴジラ」誕生の地
写真提供:友重隆雄さん(一部は平野)

 

奄美・夢の島を想う その1(7回連載)

http://ing-hompo.com/modules/post/index.php?content_id=401