肉体は野蛮人のごとくあるのが理想

西宮から丹波の田舎に移住して8年目になる。それまで私は田舎暮らしの助走期間として週末農業を楽しんでいた。

西宮から車で高速で1時間余りかけて姫路郊外まで通い、畑に近い借地の竹林に建てたインディアンテント(ティピー)に1泊する。高床式の板の間に炭火で料理するイロリをつくり、冬には焚火を眺めながら雪見酒。水はポリタンク、灯りはンプ、トイレは草むら、そして風の音や虫の声を聴きながら寝袋で眠る。いわばキャンプのようなものだが、「いのちに野生をとりもどす」ことを私は強く意識していた。そんなセカンドライフをまる7年。
妻は当時から大阪の正食協会でマクロビオテック料理を学んでいた。私はとくに関心がなかったが、桜沢如一の著書は気になって、時折拾い読みはしていた。拙著『桜沢如一。100年の夢』を書くことになるとは、3年前まで思いもつかなかったのである。
しかし今つらつら考えてみるに、週末のテント暮らしも拙著を書く伏線、すなわち助走期間だったのかもしれない。“永遠の少年GO”は、こう書いている。
「精神は神のごとく、肉体は野蛮人のごとくあるのが人間の理想の姿であるが、食養を実践したら、山野を疾駆しても疲れを知らない未開社会の人のようにたくましくなれる」(『新しい食養学』)
私はこれを読んだとき、週末テント暮らしを懐かしく思い出しながら、心底共感したものだった。
現代文明人の肉体は、この理想の姿からますます遠のいているのではないか。私は「食養の実践」に関してはまったく落第生だが、山野を疾駆しても疲れを知らない野蛮人でありたいと願い、細々とながら畑づくりや山の整備活動などして遊んでいる。この20年来「無料の健康診断」やガン検診などに行かない理由も、「ボクは野蛮人だから」と、妻にはうそぶく。頑固をすぎて頑迷か?
それはそうと、「精神は神のごとく」をどうするのか・・・、これは永遠の課題である。    平野 隆彰

永遠の少年GO1・「Macrobiotique 2012年4月号」より(日本CI協会発行)
※GOは、桜沢如一の略称