インドの農と食についての雑感

大麻 豊(トラベル・ミトラ・ジャパン)   

 福岡正信は『自然農法・わら一本の革命』を1975年に出版した。70年代はまだ学生運動が盛んな時期であった。反文明・反体制的な雰囲気の中で一部の若者の興味を惹きつけた。私も学友から農本主義や「帰農」について聞いたことがあった。


インドで直面した「食」の問題

父は僻村の百姓出身で農を捨てて、というより農では食えないために、都会にでてきた。父にとって「帰農」はインテリゲンチアの戯言にすぎなかったであろう。もとより私も「帰農」などするつもりはさらさらなかった。だから福岡正信の著作名は知っていても、それを手にすることはなかった。
それよりも私の視線はインドに向けられていた。それは社会学的興味で、「食」などという戯言に関心をもつことはない、と思っていた。ところが、実際に渡印してみると、まず直面したのは「食」についての問題であった。
まず、「辛い」ことに驚いた。次は「ベジタリアン」か「ノン・ベジタリアン」かという選択であった。私が最初に入った施設は完全なベジ食であった。そして、それは殆ど「辛く」なかった。インド料理が多様であることも知った。よく考えてみると、日本の食環境はインド料理よりも多様である。多様であると認識したのは、私がインド料理がカレーという単一の食事だけ、と思っていた固定概念が破壊されたことに過ぎなかった。ベジ食が存在するということを知ったのは、私の最初の体験であり驚きであった。
インド的な事象として「共食(きょうしょく)」に関心をもったこともあった。高位カーストは下位カーストと食事を共にしないという差別を現実に体験した。食は個の事柄でもあり、社会の事柄でもあった。

福岡とガンジー主義者の出会い
福岡は1988年に渡印している。タゴール大学関係者が『自然農法・わら一本の革命』(英訳)を読み招聘したと聞いている。福岡を現地で案内したのが牧野財士であった。
牧野は1958年渡印。ガンディー・アシュラムで生活、日系合弁会社に現地採用で勤務、1974年よりタゴール大学で日本語を教えていた。ちなみに牧野は1997年宮沢賢治イーハドーブ賞を受賞している。
福岡がインド側に提案したのが、粘土団子を空中から撒くというものであった。粘土団子にはさまざまな種が混ぜられている。実際にオリッサ州などで散布したと聞いたが、私はそれが効果的なのか疑問をもっていた。その結果についての報告はなかったように思う。
福岡は牧野の案内でガンディー主義者たちと交流をもった。ガンディーは『健康の鍵』という小冊子を書いている。食についての解説書である。彼らはベジタリアンであり、自然農法にもとから関心をもっていた。接点となるべきものがすでにあった。福岡とガンディー主義者とが農について上手くかみ合ったかというと、私はそうは思わない。なぜなら、福岡にはガンディー主義者が関わる「社会」という観念がなかったからである。
インドがグローバル化の波にもまれるとき、食はいやおうなしに世界の「社会」と関わることになる。その反動として「わら一本の革命」およびガンディーの思想が浮かび上がってくると、私は信じたい。

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※ 大麻さんは「インド旅行なら右に出るものなし」を自負するインド専門旅行会社の社長さん。