久しぶりに坐禅する

丹波市市島町にある最明寺(曹洞宗)では、毎月第三土曜日に坐禅会を開いています。28年間も続いている「明星坐禅会」です。


新年初に参加者は15名

最明寺までは我が家から車で5分ほど。「坐禅は、丹波ニューツーリズムのメニューのひとつです。空っぽになるって、いいもんですよ」。日頃からそう言っている手前もあり、時間の余裕ができたので久しぶりに坐禅することにした。
数日前には電話で参加を申し込んでいた。1月21日(土)、雨模様の寒い朝。10時10分前に本堂に入ると、常連らしい10人ほどが集まっていた。ご住職(大槻覚心氏)に挨拶し、iPodで「田舎元気本舗」のホームページを見てもらい、参加者には写真撮影の許可をとる。 
新年最初の坐禅とあって、15名集まったなかに初参加者は私を含めて数名。近隣の人ばかりだが、神戸からという男性もひとりいた。普段は常連の10名前後で、80歳以上の常連さんもいるという。10時すぎには本堂となりの坐禅堂に入る。十数畳の2部屋をつなげた小じんまりした坐禅堂もひんやりしていた。
「坐禅するときはお年寄りの方以外、できるだけ靴下をぬいでください」と住職。
平均年齢60歳以上の若者ばかりだから、みな靴下をぬいでいた。膝上よりやや高い台座に対坐すると、住職は穏やかな口調で初心者向けの説明をした。
「呼吸法はやかましく言いません。自然にゆったり息を深く吸い、ゆっくりと吐きます・・・。いろいろな想いが頭に浮かんできますが、意識の流れるままに、無心になろうなんて考えなくてよろしいんですよ」。

頭のなかの蜘蛛の巣は取れないが
丸い分厚い座布団を尻に敷き、互いに背を向けて壁に向かって坐る。たちまちシーンとなる。ときおり咳払いの声がするが、自分の呼吸音だけを意識して頭を空っぽにすることに集中した。それでも次から次へと雑念が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。ふと、年末に大掃除をしたことを想う。
我が家では、高さ6メートルの吹き抜けを走る太い松の梁に、伸縮する長梯子をかけて年に一度拭き掃除することが私の役割。落ちたら大けがをするので緊張しながらあちこちに張っている蜘蛛の巣も取り除く。この大掃除のあと、「今年も無事1年が終わったな・・・」とつくづく思うのだ。この坐禅も、雑念ばかりの意識の大掃除であればよいのだけれど、頭のなかの蜘蛛の巣はそう簡単にとれない。それでも、たまにはこうして坐るのはいいなぁ・・・と思いつつ坐っている。
昔むかしインドに行った時、なぜお釈迦さんがインドに生まれたのか、そして菩提樹の下でサトリを開いたのか、わかったような気がした。インドには悠久の時間が流れているからだ、と。当時の日本は猫も杓子も高度経済成長にひた走り、複合汚染の公害をまき散らしていたからなおさらに、インドに流れる時間は宇宙的な質感があった(いまはどうか知らないが)。
1座は約30分。長いようで短いが、やはり頭がスッキリする。左後ろに座った住職が静かに立ち上がり、魚拓を打つ。身体を左右にゆすってから座を離れたあと、経行(きんひん)と言って、みぞおち当たりに両手をそえて、一呼吸ごとに一歩ずつお堂を巡ること数分。これは立禅とも言う。
坐禅のあと、住職の法話。
お悟りの歓喜犇めくあさぼらけ如来はお座す菩提樹の下                        
これは住職が若かりし頃に詠んだ和歌だそうだが、「歓喜ひしめく」とは・・・、そんな体験我が人生に一度としてあっただろうか?                
  昼食(用意されたお弁当)、休憩・雑談(小一時間)、そして2時から再び坐禅(約40分)。この2坐目の前に、15分ほど両腕だけの動作の気功体操があった。初心者向けの気功ということだったが、全身の血行がよくなる実感があり、坐禅との組み合わせでなかなかよいものだ。この2坐目は、靴下をぬぐのを忘れたせいか、それとも食後だったせいか眠くて眠くて、舟をこいでしまい何度がおぼれそうになった。

実家の古民家を貸します
3時ちょうどに散会。私ひとり残って、ご住職と少し話しているうちに、「綾部にある私の実家が空きましてね。どなたか借りてくれる人はいませんか」という。高校まで過ごしていた実家の古民家を人に貸していたが、つい最近、その人が出ていくことになったというのである。丹波から車で30分ほど、家賃は月5万円とのこと。
「古民家は、売り物件はそこそこありますが、貸してくれる古民家は少ないんですよ。借りたい人はけっこういるでしょう」と私。というわけで、近々にその物件を見てからホームページでも紹介いたします、と約束して御暇した。
最明寺「あけぼの坐禅会」 TEL(0795)85-1415