『ヒマラヤ山麓万枚田調査ノート』 2    辻井 博

急斜面に張りついたバラビセの万枚田と集落  

  今度の旅行での最も強い印象は、バラビセでもアンナプルナ保護地域でも広大な万枚田と呼べる棚田がいたるところにあるということである。

   農民はヒマラヤ山麓の急な万枚田の斜面に張り付いた小さい集落に住んでおり、それら万枚田と小集落を繋いで、分厚い石板でかなりの巾でしっかり作られた非常に長く急な階段道路が作られている。
万枚田斜面に張り付いた集落では、そこの農家が、近くの万枚田でコメやシコクビエを栽培し、家の周りで野菜と果物を植え、家畜を飼って自給的・定住的に生活していた。この万枚田の生産・生活システムは、何千年もかけて作られてきたのではないかと考える。そう考えるのは、万枚田の斜面にある石板製のしっかりした階段道路が、かなり長く持つもののように見えるからである。
今回のネパール調査で、私はバラビセとアンナプルナ保護地域の万枚田地帯の石板製階段道路を多分100kmほどは歩いたが、この石板階段道路が壊れている所は1カ所もなかった。もちろんこの何千年かの間に人口が増えるにつれ、急斜面の万枚田と集落と石板階段道路のシステムは徐々に拡大されてきたであろう。そして過去30年ほどの間に、ネパールの資本主義化・市場化の過程で万枚田斜面の特に若い農民が都市労働者として引き抜かれ、特にトレッキング観光が盛んなアンナプルナ保護地域などでは観光労働需要に引き抜かれ、過去の長期に渡る万枚田システムの拡大は急速に逆転してきたのではないかと考える。 

急斜面に「天空の存在」

バラビセはトレッキングが行われてない万枚田地帯である。海抜1500-2500mの高さで万枚田斜面に張り付いた小集落から見て、海抜1000m前後の谷底に、ネパールと中国を結ぶ幹線道路があり、近代社会の物資と情報のルートとなっている。農家はそこから500-1500mも高い、急斜面の万枚田に張り付いた小さい集落に住んでいる。農家は、毎日谷底へおりて生活物資の購入や、農産物の販売をするのは非常に困難で、各農家は彼らの住んでいる急斜面に張り付いた小集落で自給的定住的生活をせざるを得ない。
これは私の両親の故郷、奈良県吉野郡天川村や十津川村の集落と谷底の関係と少し似ている。そこの小集落も斜面に張り付いて存在する。ただこれら地域の斜面の集落には自動車道が通っており、自給的定住生活をする必要がない。ネパールの万枚田斜面の集落は、吉野郡の集落より平均で多分何倍も谷底から離れており、傾斜も天川村より急で自動車道路を造るのは非常に困難であろう。
自動車道の替わりに分厚い石板で作られた階段道路が万枚田をななめに貫いて走っている。この石の階段は万枚田の斜面の垂直方向ではなく、斜めに作られている。だから斜面の小集落の住民が谷底まで毎日物資の売買に出かけるとすると、毎日急斜面を1000-2000mほど、重い荷物を背負って降り・上がりをしなければならないことになる。ネパールのヒマラヤ山麓では、農家と集落は谷底から見て天に近い急斜面の万枚田の遙か上で、上で書いたような自給的定住生活をしているから「天空の存在」と呼べるのではないか思う。バラビセの「天空の存在」状態は、アンナプルナ保護地域の農家と小集落の「天空の存在」より強かった。それは、後述するように、バラビセでは万枚田の急斜面に張り付いている小集落への物資の運搬は人であるのに、アンナプルナ保護地域の小集落へは、多数のトレッカーの需要に応えてロバが使われているからであろう。

 耕作放棄や土砂崩れ

 バラビセには、首都カトマンズ到着の当日、9月6日タクシーで高野さんと同乗して行った。バラビセへの乗り合いバスは非常に安いが、人と家畜と他の荷物で混みすぎて、時間がかかりすぎて使えない。正確には、カトマンズで高野さんが買い込んだ大量の、日本人としての生活に必要な色々な食料品や生活必需品がタクシーの容量大部分を占め、辻井と高野さんは少し空いたところの潜り込んで行ったということである。この苦労が、バラビセで美味しい日本的料理を食べられることに貢献する。私も日本からだしの素や味噌などを買い込んで持って行った。そういうものは、首都以外は全くないのである。バラビセには10日まで滞在し、万枚田や村と農家、町、そして高野さんの農業普及の仕事を少し観察した。
バラビセやアンナプルナ山麓の保護地域の、多くの万枚田が高齢化と空き家・廃屋化や若者の都市への流出など日本と同様の理由で耕作放棄や土砂崩れに直面していた。バラビセで私が見た万枚田は海抜1000mから2000mにわたって存在した。先ず、万枚田の写真をお見せしよう。
 次の3枚の写真は、バラビセの万枚田と石板階段道路及びネパール人の物品運搬の様子である。
バラビセはネパールとチベットの古い交易路上にあり、谷の底を流れている川の川岸にある町で、海抜1000m位にある。この川の両側は多分1/5くらいの急な傾斜地であり、傾斜地の先は多分5000m位の山になっている。その傾斜地のいたるところに万枚田がある。万枚田といったが、千枚くらいではないという意味で、水田の枚数は数え切れないほどある。この万枚田を見ると、輪島の千枚田は赤ちゃん棚田になる。水田は全て等高線に沿って細長い形をしている。狭い水田でも、輪島の千枚田ほど狭くはない。長さもより長く、牛とスキを使って耕作していた。
第1と第2の写真が示すように、水田の縁には、普通、写真にあるように大豆が植えられている。中部ネパールのアンナプルナ山麓の万枚田でもそうであった。これは昔の日本と同じである。大豆は農家のタンパク源となるのであろう。
バラビセを流れる川が下に見える。万枚田が急斜面に広く広がっており、斜面に張り付く農家や集落も見える。高野さんの農業普及の対象農家へ行く途中の景色である。私は高野さんやネパール人の農業普及員とこの急斜面にある石造りの急な階段を何回も上がり降りした。
バラビセでの物資の、集落と谷底との上がりと下がりの運搬は、次の写真(上がりの場合)が示すように人力で行われていた。これは、後述するアンナプルナ保護地域のロバの多用と異なる。ここで畜力を利用するほど物資の運搬需要はなく、人力の方が安く、それで十分なのではないかと考えられる。これは急な斜面に張り付いた集落に生活している農家が、自給・定住的に生活していることを反映している。

 海抜1500mの棚田をよじ登る

バラビセの高野さんのアパートや農業普及の支所は谷底にある。私は高野さんやバラビセの農業普及支所のネパール人の支所長と一緒に、川底から何キロも、きつい斜面の万枚田の中にある分厚い石板製階段道路をよじ登って、農業普及活動の集落へ何回か通った。
9月のヒマラヤ山麓は雨期の終わりで、かなり暖かく、雨も少し降り、湿度も高い。万枚田を斜めに貫いている、この石板製の階段道路は、影や湿っているところは非常に滑りやすい。私は何回も滑って転んだ。傾斜が1/5ほどと急なこの石造りの階段を1000m登ると汗が滝のように出る重労働である。私は、今回のネパール調査はトレッキングがあるので、少し身体を鍛えていったのだが、この万枚田のよじ登りとよじ降りには本当に参った。ただ途中や終点の村での、万枚田の絶景と、天空の集落やそこでの農家の生活や農家の優しさが、この苦労を補って余分があった。
バラビセの万枚田群にも耕作放棄や棚田の崩壊が少し見られた。十分には保全されていないのである。次の2枚の写真は海抜1500mくらいの棚田である。
左1枚目の写真の中央下部は、耕作放棄された水田を示している。多分傾斜がきつすぎ、耕す人もなくなって、森林に帰ろうとしているのであろう。
2枚目の写真は、右端が山崩れの後で、多分棚田も同時に崩壊したと考えられる。直接聞き取り調査していないから確実ではないが、中央左部分はかつて棚田であったところが放棄され、森林に帰っているところではないかと考えられる。
3枚目の写真もバラビセの万枚田であるが、中央左に少し崩壊した棚田の跡が見える。このように、バラビセにもかなりの耕作放棄棚田と崩壊棚田があるようだ。
しかし、後述するように、トレッキンクなど観光やヒマラヤ登山が盛んなアンナプルナ保護地域での耕作放棄は、バラビセと比べ非常に激しい。バラビセのような伝統的な地域の万枚田は、アンナプルナ保護地域の万枚田と比べ、そこでの農民への農業以外の雇用機会が非常に少なく、より良く保全されているのではないかと考えられる。

 バスを降りて崖崩れの道をいく

 アンナプルナ保護地域のトレッキングのためには、先ずバラビセから首都カトマンズへ行って色々手続きをし、それからトレッキングの出発地ポカラへ行かねばならい。バラビセからカトマンズへは、辻井と高野さんは乗り合いバスで9月10に出発した。しかし途中の山崩れで、少し足止めされた。この道路は回り道がないからか、崖崩れしたところを、人が歩いて進み出した。私達もそれに従い、バスを捨てて危険だったが歩いて崖崩れのところを渡った。カトマンズから来たタクシーの運転手が、こちら側へお客を探しに来ており、そのタクシーに乗ることにしたので、運転手が荷物を持ってくれた。なんとかカトマンズへたどり着けた。 

『ヒマラヤ山麓万枚田調査ノート』 3 

『ヒマラヤ山麓万枚田調査ノート』 1