夏の夜の哲学

セミの羽化(うか)を目の前でまんじりと見るのは、田舎暮らしまる12年にして初めてのことだった。

この夏は、昼間はもちろん暑いけれど、夜になるとぐっと山の冷気がせまってきて、窓を閉めないと朝方に寒くて目をさます。例年なら網戸で寝るのに、この夜の涼しさは田舎暮らしの特権のようで、何も特権らしいものがない身にとっては実にありがたいことである。

さて、そんな昨夜、食後に夜風にあたろうと、台所から出て椅子に座っていたら、すぐ目の前でセミが羽化するところに出会った。ケヤキの丸太椅子に張り付いている。いそいで部屋からカメラを持ち出してパチリ。それから数時間後もパチリ。

こんなタイミングは田舎暮らし12年目の偶然のようで、やはり必然だと思う。
というのも、一昨日の夜、ある言葉が閃いていたからである。
「意識のなかに肉体はある。その逆ではない」と。
肉体のなかに意識があると思うのは、若いころの肉体の妄想、あるいは現代人の錯覚か共同幻想ではあるまいか?
夏の夜に哲学するなんて・・・我ながら、すごい言葉が閃いたものだと想う。実は、ある原稿を書いていた流れから出たものだが、セミの羽化現場に出会ったのは翌日の晩のこと。

さっそく昨夜と今夜、この言葉を3人の友人に言ったところ、それぞれに「おっ、すごい」という反応だった。これは若い人にはピンとこないだろうが、ある程度の歳がいくと、直観的・霊的にわかる。仏教の唯識思想を持ち出して解釈する言葉ではない。

ところで、意識とセミの羽化といったい何の関係があるの?と問われたら、関係あると言えばあるし、ないと言えばない。
いずれにしろ、セミの羽化は、ヒトの生死において意味深い象徴である。       
2016.7.25  村長のつぶやき