秋桜と翁

秋祭りも終わり、がらんとした田んぼを秋桜が華やいだ色で飾っている。昨年は見かけなかったが、集落の田んぼの数か所に群生して風になびいている。

そよそよ、なよなよとゆれる様はいじらしいというか・・・涙もろい平安貴族が好んだもののあわれな風情である。秋桜と書くように、まさに秋らしい花ではあるけれど、こうした風景が市内のここかしこに見られるということは耕作放棄地(遊休地)が増えている証拠でもある。

 さて、この秋は丹波市内の3つの集落に伝わる伝統芸能「三番叟」が、各集落の神社で同日(10月10~11日)に上演される。それらを練習のときから本番まで、予定をたて梯子して観るのに忙しかった。カメラ好きのMさんに撮影の応援を頼むと喜んで協力してくれた。
7~8年前、丹波市氷上町稲畑で観た「稲畑式三番叟」に感激して翌年も観に行った。他の2つの集落の三番叟も観たいと思いながらその機会を失っていた。
西宮の友人にこのことを話すと、ぜひ観たいというので、10月11日、我が家に泊りがけで来てもらうことになった。
 3か所を同時に観ることができないので、やはり稲畑の奴々妓神社の三番叟を観に行くことにした。どの集落の三番叟がよいとの比較はしたくないが、いちばん気合が入っているのは稲畑である。小学2年、小学4~5年(または中1~2年)、青年の3人で演ずる三番叟。五穀豊穣と天下泰平を寿ぐ舞である。小鼓と拍子木、笛と謡に合わせて踊る翁の舞いは厳かであり、真剣な子供の仕草は愛苦しいほどだ。
「こんな自慢の孫がいたら爺ちゃん、婆ちゃん泣いて喜んでやろうな」と、Mさんは爺ちゃんになりきっている。
単調な舞いだが、不自然なばかりの足の運び、片足立の静止動作、激しい跳躍の動き(二番叟・写真左上)もあり、かなりの練習・訓練が必要だ。子どもが少なくなって存続の危機にある他の2か所の練習は1週間~10日ほどだが、稲畑では1カ月以上前から練習に打ち込んで本番にのぞむ。

 右の写真は、翁が人指し指を天に向けて、片足立ちのまま、ゆるりゆるりと回転するところ。1回転するのに数分かかっている。こうした同じような所作を30~40分も繰り返す。その所作(舞踏)にどのような意味合いがあるのか・・・。翁は神様であり仙人でもある。この世では何もすることがなくなったので永遠という時空のなかでゆるゆると舞うだけなのか。
現実の街中でこんな舞を繰り返していたら、「あの人、とうとう痴呆症になったのね」とか、「気がふれたんじゃやないの」などと言われてしまう。翁は、皆の衆を寿ぐ神様だから許されるし、この舞を観ることは大変アリガタイことなのだ。
そんなことをつらつら想ううにち、催眠にかかったように居眠りをしていた。
友人は観終わった後、「いやースゴイ。世阿弥はすごい、感動した。これまで点だったところがつながって線になったよ」なんて、わけのわからないことを言っていた。

あれから、毎日のように晩酌用に畑の黒枝豆を採っている。
この収穫も間もなく終わるけれど、三番叟の翁はいつまでもいつまでも頭のなかでゆるゆると回転し続けている。人間、何もすることがなくなったら、「唯我独尊」の誕生釈迦のように天を指さして踊るしかないのかもしれないなぁ・・・。

それにしてもこの現実においては、郵便局は早くも「年賀状の予約注文」を言ってくる。例年のごとく、いやはや困ったもんです、ハイ。  (2015.10.28) 村長 平野