国破れて山河あり、地域衰退して国破れり   松井哲造

私は幼年期から、ものの「なり立ち」や「ものづくり」に興味があったことから、「食」の分野の「モノづくり」工程で

均一な品質や安全と安心を確保する設備設計等の職務に就いた。
長年「食」に関わる仕事をしてきたが、今ほどいろんな角度から、ああだ、こうだと食の問題が議論される時代はなかった。様々な不祥事や事故が起きる度に消費者の安全安心の視線は厳しくなる一方である。しかし「もっと・もっと」気が付かない恐ろしい「食」の問題がある。それは……「家族社会の崩壊」である。

食卓という磁場が失われて
昔は、どの家でも家族が囲む小さな食卓があった。「食卓」といえば、サザエさんの漫画がすぐ思い浮かぶ。アノ丸いちゃぶ台を一家全員が囲む光景だ。
しかし今は懐かしいだけだ。家族という複数の「同居」はあっても、同じ時刻に全員が食卓に揃うことはほとんどない。食事に限らず、互いの「時間」は共有することがなくなった。自分自身のスケジュールが最優先である。
ダイニング・テーブルで、自分が食べようと思って購入した加工食品を一人でもくもくと食べる。便利さに慣れきって、ただ空腹を満たすだけ。かつては「一粒の米も残すな」と言われたものだが、いまは食べ残しも当たり前、捨てる罪悪感などさらさらない。

ま一人で会話などできないからテレビをつける。バラエティ番組を観ても一人空しく笑うこともない。
食卓が家族の集う場であり、「おはよう」や「おやすみ」など会話を交すコミュニケーションそのものの「場」でもあった。「いただきます」、「ごちそうさま」、「ありがとう」といった基本的な礼儀作法の言葉が自然に出てくる大事な「場」。親や兄弟などの家族が顔を合わせ、意見や議論を交わし価値観の共有をしたりする。
ときには激しく口論しながらも異論に耳を傾け、未体験の社会や時代を学ぶ場でもあり、幼い子どもたちにとっては、社会に臨む成長の舞台だったともいえる。
今にして思えば、どの家にもあった「食卓」は、そういうすべての機能を含んでいたと懐かしく思う。人が集う大事な「磁場」を、社会の仕組みが不要にしてしまった。

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