30周年記念誌『いのちの妙用』を残して逝った住職

毎月10日過ぎには届いていた「明星坐禅会」の案内葉書がこない。それもそのはず、ご住職の大槻覚心師はもうこの世にいないのだから。


4月18日、明星坐禅会30周年記念『いのちの妙用(はたらき)』(大槻覚心編著)が、手のひらの宇宙BOOKsシリーズ第3号として発行された。
260ページのうち約半分は住職の原稿で、残りの半分は住職の大学時代の友人や坐禅会のメンバー7人が執筆している。わたしもその一人である。
住職は、大学院時代に書いた「親鸞の悪人正機説」に関する論文の後半部分を仕上げたいということで、昨年6月から執筆を始め、暮れ頃に原稿を書き終えた。1部・2部構成で、見出しタイトルは「自然のいぶき」、副題には「報恩感謝への道」とある。禅宗の僧侶でありながら若いときに大きな影響を受けた親鸞と、道元を並べつつ書いている。

今年に入ってからほかの執筆者7名の原稿を合わせて制作に移り、3月末頃には校了となった。そして印刷所に制作データを送って間もなく、住職は突然入院された。
3月21日の明星坐禅会のとき、住職は風邪をひいて体調が悪いと言っておられたが、住職入院の一報が入ってからしばらくして、見舞いに行った坐禅会のメンバーから「ちょっと危ないかもしれない」と電話があった。4月10日頃だった。 
4月24日には出版を祝う会を開く予定だったが、急きょ、取りやめに。

本の納品日は4月15日だったが、わたしは印刷所に事情を話して、一日でも早く本を届けてほしいと頼んだ。納品日より1日早い14日、製本した5冊が届いたその日に、4人で病室を見舞った。
住職はベッドに半身を起していたので、1冊の本をベッドの上にそっと置いた。住職は喜んですぐにも本を手に取るかと思いきや、合唱した手をずっと重ねたまま、じっと本の表紙をながめ「ようやくできましたか。よかった・・・」と弱々しい声で言った。わたしはそのときふと嫌な予感がした。元気なときであれば「やぁー、やっとできましたね。表紙もすごくいいなぁ。よかった、よかった」などと子供のような表情で喜んだに違いないからだ。
しかしこの後、住職は「今日、入院してからはじめて、うどんを半分程食べました。うどんは好物だけど、さすがに毎日は食べられませんよ」と言ってほほ笑んでいたし、「数年前も死にかけて奇跡的に助かったので、また奇跡が起こるかもしれませんね」などと他人事のような言い方で、生きる意欲を見せていた。
1週間ほど前に見舞いにきていたYさんは「前よりだいぶ顔色もいい。うどんも食べたことだし・・」と言っていたので、我々は、「半月もすれば元気になるのでは」と希望的観測を述べながら病院を後にしたのだった。

翌日、数百冊の本は予定通り15日にお寺に納品。それから1週間もしないうちに危篤の知らせがあり、4月20日午後4時、住職は永眠された。享年70歳。
4月24日、ご葬儀の日が、くしくも出版交流会を予定した日だった。
「今日は死ぬのにもってこいの日だ」
わたしが好きなインディアンの古老の言葉を、住職は図らずも見事に体現してみせたのだ。大往生である。しかし、そんな感銘を受けながらも、この寂しさは何なのだ・・・。

宗派を問わず、近隣のお寺の住職が30人程集い、最明寺の本堂で厳粛な葬儀がおこなわれた。本山の永平寺をはじめ県市町単位の仏教界から住職の功績と人徳をたたえる弔辞が次々に披露され、葬儀というよりも法灯継承の儀式のようであった。高貴な色合いの多くの僧服に囲まれる中で、一人息子の悠心君のみが墨衣に裸足で、次第に則った儀礼の場面が変わるごとに五体投地の拝礼を繰り返していた。
檀信徒は境内に設けられた椅子に100名ほど座っていた。「本堂に席が空いています」というアナウンスに從い、わたしは本堂のなかに入ることにした。普通の葬儀であれば1時間もすれば終わるところ2時間近くも続いたが、在りし日の住職のことを思い出していると、長い感じはまったくしなかった。

この日は五月晴れを思わせる爽やかな日和で、本堂から仰ぐ山々は、まさに「山笑う」景色である。屋外でも寒くも暑くもない陽射しのもと、若葉の薫るそよ風が本堂を吹きぬけていった。そして、その緑のそよ風が「自然のいぶき」としてわたしの身体を吹き抜けるたびに、住職の言葉が思い出された。
本の「はじめに」に、住職は次のように書いている。

ご縁を得て最明寺に入山してから三十年余り。山門のはるか向うに、お山を眺めない日とてない。本堂の扉を開け閉めするときや境内の庭を掃きながら。
冬の夜には皎々と冴えた月が山容を照らし、春ともなれば朝方に深い霧の中からうっすらと姿を見せる。真夏には緑濃くしてまさしく山が爆笑し、秋になると紅・黄のもみじで身を飾る。

 俳句では、新緑のころの季語は「山笑う」だが、真夏だから「爆笑」か。
住職は、いつも微笑みを絶やさず、軽い冗談もよく言っていたが、基本的に生真面目なお方だった。「山が爆笑」は、今後の夏の季語として俳句に採用されるかもしれない。

 それにしても、住職の突然の訃報に、わたしはずっと心の整理がつきかねていた。
悲しく寂しくもあるのだが、わたし(あうん社)が手掛けた本の完成を見届けた後、あっさりと見事な大往生と遂げられたからだ。本のタイトル通り、いのちの妙用のままに・・・。
5月の連休中は来客もあって忙しかったが、連休が明けてからも、心のどこかにふと冬の隙間風が吹き抜けていく感じがしていた。

 30年の間、やむを得ない事情で中断したのは数回。わたしはその10分の1しか参禅していないが、こらからもずっと通い続けるつもりでいたので、「明星坐禅会のご案内」はがきが来ないのが何よりも寂しく思う。当分この隙間を埋められそうにないが、住職が残してくれた一冊の著書が、今後まさに「いのちの妙用」として何度も語りかけてくれることだろう。 

水鳥の 行くも帰るも跡たへて
されども 路は忘れざりけり

本書の扉にある道元禅師の言葉である。

ほんとうにお疲れ様でした。
ご冥福をお祈りいたします。  村長 平野