「手のひらの宇宙BOOKs」に執筆しませんか?  参加者募集

資格条件はとくにありません。あなたに、自分らしい手のひらの宇宙(想い)さえあれば・・・・。
第3号「あとがき」を読んでいただけたら本書の特色(村長の想い)がわかります。共鳴いただけたらぜひ執筆者としてご参加を。


あとがき

講演や講義、演説や挨拶のスピーチにしろ、その巧みな話しぶりに感心させられることがたまにある。ところが少しあとで考えてみると、どんな話だったのかほとんど思い出せなかったりする。上から目線の話、本人はそのつもりでなくても自慢たらたらの話、専門用語やカタカナがやたらと多い話、立て板に水のごとくに饒舌な話などはとくにそうだ。途中で退座するわけにもいかないので、そういうときは目をつむって聴くようにする。そのまま眠っても周りに気づかれないように。
逆に、話しぶりはトツトツとしてあまり上手とはいえないが何とも言えない「味わい」があり、心にしみいる話もある。そういう話は体験に裏付けられた実感がこもっていて、感動で思わず涙腺がゆるんだり、自分自身の努力の足りなさや根性のなさを改めて反省させられたりもする。

書(字)は体をあらわすと言われるように、話しぶりにも文章にも「体」というものはあらわれるだろう。実際文章においては、その作家の文体がどうだこうだと評論家は難しいことを言ったりする。だが、この『手のひらの宇宙』で大事にしたいことは、そんな高等な文体論ではなく、いわんや文章の巧さ加減でもなく、その人の生きた証としての思いの深さや熱量である。それを端的に言えば「味わい」ということになる。その味わいをそのままにしておきたいから、文章をいじることは失礼だと考えている。
年代表記の統一をしたらもっと読みやすくなるという意見もあるが、それもあえてしない。意味不明な文章があれば、その個所を執筆者に指摘して書きなおしてもらうが、それ以外は誤字や脱字の訂正だけにとどめている。言葉使いも書き方も人によってさまざまだから味わいのあるものになっていると、編集人の私は自負しているわけなのだ。

最近は自分史が多いけれど、読みたくなる、あるいは読みとおせるその種の本は極めて少ない。その点、この本を読みながら途中で「眠くなった」という感想はいまのところ聴かれないし、「はじめに」で荻野氏が書いているように「手のひらのぬくもり」が本書の特徴でもあるだろう。
文字数は4000~5000字と決めているので、短過ぎも長過ぎもしない、この字数制限もほどよいのかもしれない。普段あまり文章を書かない人でも400字原稿十枚くらいなら多忙ななかでも何とか書いていただける。そして呻吟しながらも書き終えたことで、自分の頭の整理もできてよかったと感想を述べる執筆者が少なくない。
『手のひらの宇宙』とは、そういう本なのである。執筆者の一人ひとりにおいてはショートストーリーの自分史だったり、日ごろの想いの主張や発信であったりするが、編集人の立場としては、実感のこもった多彩な生活史をあつめて一種の現代史を編集しているつもりなのだ。おそらく何十年先には一つの「歴史的記録」になっているだろう、と。私がこのシリーズ本を企画した理由はいくつかあるが、「地域からの発信」ということもその一つである。

本書(手のひらの宇宙№3)では、丹波在住の執筆者が半数以上を占めるが、「食と農と里山」は普遍的テーマであり、丹波エリアにこだわっているわけではない。いま流行の地方創生といった掛け声キャンペーンには、踊るアホウになっても踊らされることなく、全国どこでも、いや世界の各地域がそれぞれの「食と農と里山」を再生していく必要があるだろう。
「地方」という言い方には多分に中央意識の驕りが感じられる。言うまでもなく、どんな過疎地であろうと、その人が愛して住む「その地域こそが地球の中心地」なのだ。
本書の執筆者たちもその思いは同じだろうと想うし、小学一年生の十倉陽美さんの作文を冒頭に紹介させてもらったのは、その願いと希望をこめてのことである。
全国をくまなく歩き続けた民俗研究家・宮本常一のように旅するわけにはいかないけれど、シリーズテーマの一つである「食と農と里山」において、これからも日本及び世界各地の「手のひらの宇宙」を集めたいと念じている。

最後になりますが、この春2年生になった十倉陽美さんをはじめ23名の執筆者には心よりお礼申しあげます。

平成二十七(2015)年  桜の開花する日に
編集人 平野智照

◆執筆について
詳しくは、あうん社のホームページをご覧ください。