丹波の赤鬼のこと

s-DSC_kuurakuenn.yuuhi.jpg秋の夕日を眺めながら

「ヒラノはん、どないなってんの。黒井城の歴史小説」
「はぁ・・? 覚えてましたか、あははは」 笑いでごまかそうとするが、
「覚えてまんがな。忘れないで」と追い打ちをかけられた。
「・・・うーん。かならず書きますよ。かならず」

光陰矢のごとし

   この会話は2週間前、里山くらぶの作業の合間にかわされたもの。高台にある我が家の丹波カルデン(空楽園)から黒井城の山を眺めながらふと思い出した。黒井城の山頂に沈む日没まで半時ほど、日差しのやわらかさはもうすっかり秋である。
丹波に移住した8年前、この高台から夕日が沈む山を眺めるのが至福のひと時だった。いつか黒井城主の赤井(荻野)直正を小説にと、構想を練ったりしていたが、この数年忙しさにかまけて、すっかり忘れてしまっていた。

    赤井(荻野)直正、号を悪右衛門とみずから称し、丹波の赤鬼と怖れられた。かつては但馬や丹後の一部まで攻め入り、安土城を築いていた織田信長も一目おく猛将だった。直正は、京から追放された前の関白近衛前久を迎え、前久の妹を娶っている。本能寺の変の黒幕の一人とも疑われた前久が、黒井城に数年滞留しているというところなども興味深い。

 明智光秀の丹波攻めを一度は跳ね返したが、二度目のときに黒井城はあえなく陥落した。直正はその1年前に病没している。光秀の直臣・斎藤利三が入城し、利三の娘・お福、のちに徳川三代将軍・家光の乳母となる春日局が麓の館で誕生している。とにかく京の都に近い丹波は、日本海の丹後とのつながりもあって歴史的にオモシロイ地域である。

 しかし、まさに光陰矢のごとし。久しぶりに黒井城の山をゆっくりと眺めながら構想倒れの小説を思い、しばしメランコリーな気分になっていたが、足元を走りまわるミッチーに促され、また小石を遠くの草むらに投げてやる。ミッチーはボール(小石)拾いが大好きなのだ。息切れするまで繰り返し10回ほどやらないと満足しない。
さて、ミッチーのドッグs-DSC_ミッチー1198.jpgランの場となったこの丹波カルデン、猪が好きな農作物(イモ類、かぼちゃなど)があるときは彼らの運動場にされてしまう。いまはハバネロ、スィートバジル、ごぼう、ネギくらいしかない。今週末は、里山くらぶで山の手入れ、伸び放題の草を刈り、柵の補修をして、ニンニクを植え、それから・・・またミッチーのお相手をすることになる。山はじっと動かない。  (2011.9.7 平野)