食べ物から見える世界   斉藤武次

薬漬け医療からの脱出
来年の一月一日を迎えると、私は八十歳になります。いつの間にか誰にでもあるような、多少の人生途上での波乱はありましたが、何とか元気で生き長らえて来ました。

しかも、六十三年前の十七歳のとき、神経性胃潰瘍を患い外科医の言うままに胃袋の半分を切除。それ以来運動ごとが好きで野球をやっていたころの体重には戻らぬままでしたが、手術後に食生活を変えてから、数回の健康診断以外は病院にもいかず、薬も飲まず生きて来ました。いや、正確にいうと四十代で一度、六十代と今、歯の治療でお世話になっています。
でも、自分の身の周りの人たちと比べて、国の医療費をこれまで自分が払い続けてきた保険料の割には使ってないなと、一兆円近くも毎年増え続けている厳しい日本の医療財政の現実を、テレビや新聞のニュースで知らされる度に、ある種の自負とため息交じりの、何ともいえない気分を味わっています。

なぜ、一億人以上もいる日本の多くの人たちは、世界で一番の薬好き人間になってしまったのか? そして、ちょっとしたことでも、今の人たちは直ぐお医者さんのところに行く。行かないと、まるで損でもするかのように。
もっとも現在、どこの家庭でも、ひと昔前とは全く違った生活形態で暮らしており、親たち、ましてやおばあちゃん、おじいちゃんとの距離は、ますます遠くなっています。良きにつけ悪しきにつけ、伝統的な生活上の知恵も節約の観念も、伝わりようもないというのが現実なのでしょう。
たしかに、日本人の平均寿命は伸びたし、国民保険による医療制度もアメリカのオバマさんが真似たがるくらい充実していて、お医者さんの治療面での技術もすばらしい。したがって、平和で豊かなこの高福祉社会を維持していくためには、毎年四十兆円に近い医療費も当然必要なコストであるという見解も、あながち見当はずれと言えない面があるのも首肯されます。
しかし、物事は上っ面だけを見せられて、いくら国民にとって健康を守るために医療が大切であるとは言え、国の財政を破綻にも導きかねない医療の在り方は、問題があり過ぎます。そして問題に対する判断基準は、何もスペシャリストだけが持っていれば良いというわけのものではなく、一般人の日常生活から生まれてくる身体を通した実感による判断力、これもきわめて大切であります。実際、私たちの生活行動はその多くが、この本能的判断力に委ねられていると言っても過言ではないのですから。
なぜなら、現実に六十年以上医療費の殆どかからない生活を、私は食べ物に気をつけるだけで、西洋流の科学的といわれる治療法から決別して、送ってきた実感からそう思えるのです。
さりとて私が他の人と比べて、当時高コストの上等な食べ物ばかりをとって、健康を保ってきたかというと、とんでもありません。むしろ人さまから見ると、栄養不足のように思える、貧弱な食事内容でした。肉は殆どとらず、魚少々と穀菜食中心で、あとは海藻類を少し入れた具沢山の味噌汁、漬物といった程度のものです。ただ、油ものは胃を手術してからあまりとれず、さっぱりとした人参とりんごのミックスジュースが好きになりました。それから甘味類はできるだけ避けて、果物も体を冷やさない程度に食べるよう心がけて来ました。塩加減は昔のままで、いっさい気にしたことはありません。しかし、何を食べても、よく噛むことだけはやって来ました。

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手のひらの宇宙「食と農と里山Vol.1」より
(あうん社 2014年11月11日発行)