丹波鹿料理物語  鴻谷佳彦

葉山の4代目として
まず僕の紹介をしたいと思います。家は代々、丹波市で『食』の仕事を営み僕で4代目、約90年続いています。

大正時代、郵便配達をしていた曾お爺ちゃんが仕事を変えてリヤカーを引き、丹波市青垣町の山々を越えて乾物や干物などを福知山付近で売り回っていたのが「葉山」の始まりです(当時の屋号は「こうたに」)。
初代の人柄は信心深く勤勉、おしゃべり好きだったようで、こんなエピソードがあります。初代がいつものようにリヤカーで行商していると、「荷台が今日は重いぞ、おかしいな?」と思い後ろをパッと見た。すると狐がひょっこり乗っていて、売り物の油揚を静かに食べているじゃないですか! 驚いて狐を叱ると、その後化かされて道を迷わされたこともあったのだとか。たぶん当時流行の「化かされネタ」でしょうけど。
リヤカーを押して坂道を上るときは必ずと言っていいほど、近所の遊んでいる子供たちを乾物のくずや干物をお菓子として釣り、坂道を押してもらっていたようです。そんな思い出を、今でも目を細め「あの乾物がおいしかってなぁ~」って教えてくれるおじいさんがいます。
そのような声が聞けるのは、本当に先代の日頃の商売に対する心構えのおかげだと思っています。やはりこのへんが自分の経営に対する考え方の方向づけになっています。
「人に尽くす」そうすることによって自分の今の商売は薄利で苦しいけれど、何年後、何十年後になって自分や家族、関係者にゆっくり返ってくる。
「悪い事はすぐ自分に返ってくるが良い事はなかなか返って来ない」とよく聞きますがそれを嘆くことなく、子孫や関係している方にじわじわかえってくる。先代の最高のプレゼントだと思います。信用や思い出はすぐには出来ないことですものね。

人生を大きく変えた修業時代
僕は高校卒業後、西ノ宮・甲子園の近くの料亭で5年間修行させて頂き、丹波市にて家業を継ぎ現在社長兼料理長をさせて頂いています。
修行というと厳しいイメージがありますが……ほんと厳しかったです。
高校生の時、勉強するのが嫌という安易な発想で料亭の門を叩きましたが「そんな甘いもんではない!」。
いきなり丸坊主、だれもしゃべってくれない、何をしたら良いかわからない。そんな一昔前の職人の世界でした。漫画やドラマで見るようなそんな世界がマジで広がっていて、ずっと「怖い、逃げ出したい」そんな毎日でした。

続きはPDF(adobe) 丹波鹿料理物語 鴻谷佳彦
手のひらの宇宙「食と農と里山Vol.1」より
(あうん社 2014年11月11日発行)