「原点」について

哺乳動物として「歩く」こと、そして小さな農業(半農半X)を育て増やすこと


  よくふるなぁ・・・。朝起きたら小雨が降っていた。このところ毎週土日になると冷たい雨が降るので土が乾かず農作業ができない。山盛りに溜まっている木をチェーンソーで伐って、来年用の薪づくりもしないといけない、小屋の棚作りもしたい。そして今日は、月1回の水汲みの日だ。
作業のほうは諦めて水を汲みに行った。昨年夏の豪雨被害で市島町の水汲み場はいまだに復旧していないので、この半年余りは山南町の山裾まで通っている。往復1時間で済んだ水汲みが距離も時間も倍になった。
でも最初のころは遠いなぁと思っていたところも、通いだすとそうでもない。こんなものだと思うから、水汲みついでにその方面の用事も済ませたりする。

この距離と時間の感覚というものは慣れによって変わるし、歩くことによって「体感」も違ってくる。
最近、大阪のある名刹の寺史を編纂する仕事でよく歩いている。昨日も梅田から大阪城まで大川(旧淀川)沿いをぶらぶらと歩いてみたが、慣れたせいか距離が遠いとは思わないし、時間も長くは感じない。造幣局あたりの桜はまだ固い蕾のままだが、風もなく温い陽射しの下で気持ちよい。滔々と流れる川面にも明るい春の色がきざしている。ベンチで寝ている何人かのホームレスの人たちは何を夢見ているのか、シュラフ一枚でも寒さはしのげているようだ。シュラフから頭のてっぺんが覗き、毛髪がまばらに生えた頭皮が秋の野原を連想させた。シュラフがないホームレスは毛布をかぶっていたが、その毛布からはみ出た足の靴下が黒光りして、一か所だけ穴が開いていた。ケセラセラ、まるで彼の人生を象徴するかのように。

風がまだ冷たい先月半ばも、太融寺町から難波宮跡(大阪城のすぐ近く)までのんびりと歩いてみたが1時間余りで着いた。距離にして1里か1里半(4~6キロ程度)だろう。普段は地下鉄を利用するので、こういう距離感はまったくわからないが、歩くことがほとんど移動手段であった時代においては、「ちょっとそこまで」という距離は1里(4km)ほどだったのではないか。昔の人は50~60キロなど苦もなく歩き、日帰りで用足しをした。田舎に住んでいると軽トラが足代わりで、都会人より歩くことは少ないと思うが、歩くことは哺乳動物としての原点だなぁとつくづく思うのであった。

ところで、原点と言えば「食と農」であり、これからは小さな農業(百姓)が増えることがますます重要になると思う。
日本はいまアメリカの戦略(TPPなど)にまんまと乗せられ――わかっていて乗らざるをえないというのが日本の立場なのだが― 国としての食料安全保障(自給率、安心安全、遺伝子組み換え種子など)はますます危うくなっていくだろう。こんななかでも、有機農業や自然農法で小規模な農業を営む百姓や半農半Xを実践している人たちが、口をそろえてよくいうことは、「とりあえず自分には影響ないし、多品種栽培での小規模農業がますます大事だね」ということだ。そういう人たちは、農業を輸出産業になどと間違っても言ったりしない。
TPPがすすめば牛肉や豚肉が安くなって消費者にもメリットがあるなどと言われているけれど、食の安心安全で結局割りを食うのは都会の消費者である。

先月の中ごろ、NPO丹波里山くらぶの遅い新年会でもTPPのことが話題になったが、昨日このメンバーのUさんから、「月刊現代農業の2015年4月号」の記事が2つ、PDFで送られてきた。
その1つは、
先輩農民にきく「強い村・強い農業」とは? 小さい農家が頑張ることが日本を守ること 
佐賀県唐津市・山下惣一さんを訪ねて:天明伸浩
もう1つは
TPP交渉、公約はどうなったのか とどめを刺されてはいけない:鈴木宣弘

「小さい農家が頑張ることが日本を守ること」のなかで、山下さんが次のように言っている。
「終戦時はね、1000万人の人口を農村が受け入れたんだよ。敗戦で日本は一度滅んだ。でもそれを救ったのは農村だよ。農村がなければ帰る場所がなかったんだから。やれ国際化だ、やれグローバリゼーションだって言うけど、有事のとき戻ってくるのは日本しかない。……、そういうことは誰も言わないんだよな」
まったくそのとおりであるし、都会に住む人たちもわかっている人は少なくないと、信じたい。
(2015.3.7)  村長 平野