手のひらの宇宙BOOKs第1号「食と農と里山VOL.1」 はじめに より

天高く爽やかな秋晴れの日曜日。早朝から日役の草刈で汗を流したあと、十人ほどの村人たちは日陰になったコンクリート床にどかっと腰をおろし、

缶ビール(発泡酒)を飲みながら冗談話に花を咲かせた。
「この間夜遅く、オヤジが夢のなかでもボケおって。空気がない空気がないと言うんで、窓を開けて空気を入れ替えてやったら、『おおきに、空気があるわ』って言いよるねん……、あっははっ」
オヤジさんは95歳になるという。何とも味わい深い話だこと。話題のなかには必ずこういう身近な「高齢化問題」が含まれる。あと十年、二十年先の集落と農業、自分自身もどうなっていることやらと笑いながら話すのである。とりとめのない話が続くなか、光ケーブルまで伸びた八重桜の枝を伐ったことから、「NTTと関電の競争のおかげで安くて便利になった」と光通信の話題ものぼった。 
この十月、西宮から丹波に移住してまる十年になる。インターネットに頼る仕事柄、田舎に住む不便さを感じたことはないが、高速光通信のおかげでさらに便利になったのは確かである。しかし便利という基準で里山暮らしを選んだわけじゃない。むしろ便利過ぎて騒々しい都会を逃げてきた。農的暮らしを求めて……。
振り返ってみると、私は丹波に暮らして三、四十年経ったような気もしている。実際、『田舎は最高』(2007年8月発行)という本には、
「ここにはもう十年、二十年以上も住んでいるような気がするなぁ……」と書いた。
移住して一年過ぎた頃、農道を散歩しながら心癒される感慨を抱いたのだった。麗しい里山を残してくれた先人たちに感謝しなくてはいけない、と。この里山が私の細胞深くまで染みついた今、半世紀近い季節のめぐりを感じてもふしぎではないだろう。
四季のめぐりの中の「食と農と里山」は普遍性のあるテーマであり、人が人らしく生きられる原郷(故郷)だと思う。それは田舎に暮らしている人なら体感としてわかるはずだが、都会に住んでいたら頭で理解しても実感がともなわない。ある意味それは残念で不幸なことだと言える(「大きなお世話」かもしれなので小さい声で言おう)。
今年の春、あうん社が創業二十一年目を迎えたことから、私は「仕事の原点」にも戻ろうと考えた。思案の末に生まれたのが、このシリーズ企画「手のひらの宇宙BOOKs」である。創刊ゼロ号に続いて本書は第1号にあたる。
記念すべき第1号には26人の「手のひらの宇宙」が集った。ユニークで味のある話ばかりである。それぞれの視点や経験は異なっても、“食・農・里山 ”は切っても切れない一つのものであることがひしひしと伝わってくる。
私たちのいのちを支えてくれる“食・農・里山 ”を守り育て、次代に引き継ぐことの大切さを、読者の一人ひとりが改めて感じてくれることだろう。