記憶力も、想像力も、空想も、我々の身体の中にはない。

余りにも見事な死に様を見せられ一粒の涙も出なかった。行年12歳2か月、愛猫フーコが死んだ。

食っちゃ寝のフーコがエサを食べなくなったのは6月初め頃。動物病院でリンパ腫と診断され点滴を受けたが、延命治療はしないと決めていた。
水を少し飲むだけでどんどん痩せこけ、床の上でもおしっこをするのでオムツをした。あと1週間持つかというとき急にエサを食べ始めた。量はわずかだが、“奇跡 ”を期待した。だが再びエサを口にしなくなり体が縮んでいった。
昼間はじっと瞑想にふけり、夜になると弱弱しい甘え声で外に出してくれとせがんだ。火照った体を冷やしたいのだ。ある晩フーコは、家の隣にある小さな観音堂の石畳に寝ころんでいた。庭の畑を横切る30メートルほどの距離でもヨロヨロの足取りでは数分かかる。
「お参りして、そこで死にたいのかな」「本能かもね……」
フーコを迎えにいく夜が数日続いた。そして7月27日の朝、台所の床で目をかすかに開けたまま死んでいた。
GOは雷に打たれたように亡くなった。計画中の「世界精神文化オリンピック」が弟子たちに託された遺志だった。十一歳で母親を亡くしたGOは「PU(無双原理)は死とたわむれるモノの道だ」と、豪快な気合で「死」をうっちゃっていた。だが意識の中に若い母は生き続け、あの世につながる「発信局」からの電波を受信した。

瞑想や想像力、あるいは祈りというものが、いったいどのようにして現実化するのであろうか? 略。われわれの頭脳は、一種のラジオ受信機のようなもので・・・略、全宇宙の時間・空間の中にある発信局から発せられる、ありとあらゆる波長の電波を受信する。略。記憶力も、想像力も、空想も、我々の身体の中にはない。その逆である」(『道(タオ)の原理』)

GOの著書の中でこの箇所がいちばん引っかかる。宇宙開闢以来のあらゆる事象が記録されているというアカシック・レコード(発信局)を指していると想われるからだ。  
フーコを庭に埋葬してカミさんが花を手向けていると、宇宙の記録にある涙のような小雨が降ってきた。 

永遠の少年GO(No.16)・平野隆彰
「Macrobiotique 2014年10月号」より(日本CI協会発行)
註:GOとは・・・ジョージ・オオサワこと桜沢如一。