「フーコ、よくがんばったな」

7月27日の朝、ついにフーコが死んだ。あまりにも見事が死に様を見せられて、鼻がつまっただけで涙も出なかった。


フーコの様子がおかしくなったのは、12歳1か月を過ぎた6月初旬頃。食っちゃ寝ばかりのフーコなのに、エサを求めて啼かなくなった。そんな日が数日続いたので、カミさんが動物病院に連れていった。リンパ腫と診断され、点滴を受けて帰ってきた。
それから1週間、フーコは水を飲むだけでエサをまったく食べなくなった。どんどん痩せこけて身体全体が骨ばってきた。部屋のあちこちに寝床を変えながら一日中眠っている。決まったトイレに行くことなく、床の上でおしっこをするようになったので、オムツをすることにした。
「延命治療は止めよう」と決めていた。このままいけば、あと1週間持つかどうかと考えていたが、ある日急にエサを食べ始めた。といっても、食っちゃ寝のころと比べたら雀の涙程度の量だ。それでも少しずつ量が増えているようで、心なしか骨ばった体に肉がついてきたようにも見えた。「奇跡が起こるか」と期待した。
エサを食べる日はやはり1週間ほど続いていたが、再び、一切口にしなくなり、動物病院に行く前の状態にもどっていった。それが7月初旬頃だった。

昼間は2階の部屋の隅にある箱の中にじっとうずくまっているが、夜、食事をしていると一階に降りてきて、ぼくとカミさんの間に来てうずくまる。そんな日々がまた1週間続いた。
そして亡くなる10間ほど前、昼間はだいぶ蒸し暑くなってきたので、部屋の窓際の網戸のそばで風に当たって寝ころんでいた。ふらふら歩きながら一日の間に5~6か所寝場所を変えていたが、そのうち足元はヨロヨロになって、場所を移すことも少なくなった。
そんな状態にもかかわらず、夜になるとフーコは外に出たがった。子猫のようなかすかな鳴き声で出してくれとせがんだ。
「死に場所を探して、このままどこかに行ってしまうのじゃないか」とぼくが言うと、
「それはそれで仕方がないわよ。本能なんだから」と、カミさんは意外と冷静に、覚ったような口ぶりで言う。

西宮から丹波に移住したときフーコは2歳半。その翌年の秋、狩猟シーズンになって山に入った猟犬が迷ったのか、うちの庭に入ってきた。棒を振って脅すか、だめなら石を投げて追い返すのだが、そのときは間が悪かった。
デッキにいたフーコが、猟犬に驚いて庭に飛び降りて逃げたのだ。窓は開けていたので部屋に戻ればよかったのにと思ったが、遅かった。コラーッ!フーコを追いかけた猟犬をぼくも怒鳴りながら追いかけた。だが、あっという間に見えなくなった。どうやらフーコは裏山へ逃げ込んだらしい・・・。
そう思ったが、日が暮れてもフーコは帰ってこなかった。ひょっとしたら猟犬にやられたのかも・・・。何度も外に出てフーコの名を呼んだ。ヤラレタなと思った。
そして深夜になり半ば諦めかけて、そろそろ寝ようかというときに、フーコの声がした。窓を開けると、半身血だらけになったフーコがよろけながら入ってきた。
翌朝、急いで動物病院に駆けつけて手術。「もっと早かったらよかったんですが」と言われた。傷はいちおう治まったが、右後脚の骨が砕かれていて2回目の手術をすることになった。手術代は猟犬の飼い主(ハンター)に弁償させたが、一時は「うちの犬がやった証拠はない」といったふてぶてしい態度をしたので、ぼくは怒った。以来、猟犬が庭に入ることを一切禁じ、間違って入ることがあれば石を投げてやる(だいたい猟犬の管理ができないこと自体、違法なのだ)。
せっかくの美人猫なのに・・・フーコはこうしてビッコをひくようになったのだから、フーコはむろんのことぼくにしたって、たまったもんではない。カミさんの次に愛する娘を傷つけられたのだから。
それでもフーコは相変わらずじゃれるのが好きで、ぼくやカミさんが油断していると後ろから脚に軽くキックをして逃げたりもする。炬燵のフトンに隠れ、急にぼくの足に飛びついて驚かせたりもする。好きなテレビはかぶりつきで観ているが無表情だ。
12歳になっても(人間の歳でいえば65歳ほどらしいが)悪戯好きなフーコだった。人見知りが激しく、ぼくらにも抱かれるのは嫌い。猫らしいゴーイングマイウエイ、きっと長生きするだろうと思っていたのに、それが、まさか・・・。


お腹の下あたりに手を当ててみると、そこだけが微かに熱を帯びているようだった。我が家は、真夏でも熱帯夜になることはほとんどないが、フーコは身体がほてっているらしい。外に出ると、石段やタイルの上で横になっていた。
1時間ほどしてから家に連れ戻していたが、ある晩、フーコの姿が見えなくなっていた。
フーコの名を連呼しながら半時間、やっと見つけた場所は、我が家の隣にある村の小さな観音堂だった。お賽銭箱の前の沓脱石の上で、気持ちよさそうに寝ころんでいたのだった。
「お参りしたかったのかな」
「きっと、そうかも」
それから晩になると、観音堂にフーコを何度か迎えにいった。20~30メートルの距離だが、ヨロヨロになったフーコの足取りでは、家の庭からそこまで辿り着くのに数分はかかる。フーコはそこで死ぬ覚悟だったのかもしれないが、放っておく気にはなれなかった。
家に連れ戻し、今日か明日かという思いでフーコの様子を見ていると、意識ももうろうとしているのか、呼びかけても耳さえ動かさなくなった。ただ時折、シッポを微かに上下させている。死ぬ2日ほど前からはそのシッポもピクリとさせなくなった。
「フーコ、よくがんばったな」と言って頭をなぜても反応しなくなった。
そして27日の朝、7時前。
「フーコが亡くなったわ」カミさんの声に起こされた。1階の台所のすぐ横で目をかすかに開いたまま死んでいた。
再びエサを絶ってから約2週間、ただ死が近づくのを静かに待ち、黙って死を受け入ていった。こんなに早く、こんなに見事な死に様を、フーコに教えられるとは・・・。
12年と2か月余り、我儘フーコにどれだけぼくらは癒されたか。フーコよ、ありがとう。
紅葉の木の下のユキノシタがたくさん生えている庭に穴を掘り、フーコの墓をつくった。台所と居間の窓からいつでも見えるところに。
フーコを埋葬してカミさんが花を手向けていると涙のような小雨が降ってきた。  (2014.7.29)

写真3点とも:薪ストーブの前のフーコ(2009.12.28)