「極楽の余り風」はどこに

  『田舎は最高』(2007年発行)より

 美しい言葉

 ――極楽の余り風s-DSC_0015.jpg
 という美しい言葉がある。この言葉は、丹波新聞に今も連載されている名エッセイ『やすらぎ』の執筆者・清水雅子さんが、それまでの連載エッセイを集めて出版した本のタイトルである(2000年、丹波新聞社発行)。
  「お盆の里帰りしたとき、『真夏にふと吹き抜ける冷風』のことだと母から教えられたものです」と、その意味を同書の「あとがき」に記している。

 たしかに、真夏にふと吹き抜ける冷風というのは、生命が蘇るような爽快s-IMG_0307.jpg感があり、至福の一瞬である。 山や田圃を吹き抜ける風は気が充実している。
ほんとうの田舎暮らしの醍醐味というのは、この夏の冷風だけでなく、季節の移ろいとともに極楽の

余り風を感じられることだろうと、私は思っている。もちろんその余り風には、季節ごとの香りと爽やかな感触がある。
いきなり定住するのに迷いがあるというなら、週末移住や季節移住で田舎遊びをすればよいし、あるいは2地域居住という選択肢もある。慣れてくれば、田舎暮らしのほんとうの良さ(田舎は極楽)がわかってくるから、この極楽に早く移り住もうという気にもなるだろう。
先々の老後を心配するのは止めておこう。
この極楽は、死後世界ではなく、今の世に存在する。

やり場のない憤り......   

 先の文章は、私(平野)が西宮から丹波に移住して3年目の2007年に発刊した『田舎は最高』のまとめの章に書いてある。猛暑到来のたびに実感し、ありがたく思うことである。 
しかし......、今日(2011年7月14日)の丹波新聞の社説コラム「丹波春秋」を読んで胸が痛み、やり場のない憤りやカナシサ、やるせなさが、いっぺんにこみあげてきた。

 ▼「福島市の知り合いの話では、『放射能から孫を避難させる』という嫁と、仕事を離れられない息子との口論が絶えず、家族関係に亀裂を生じているそうです。原発は人間の心にまで深刻な影を落としているのです」▼折しも南相馬市で、「足手まといになるので、私はお墓に避難します」との遺書を残して自らの命を絶った93歳の老女の話が報じられた(9日毎日)。(E)

 いまや原発の被災地に、極楽の余り風であるはずの冷風は、避難先の墓にしかないのか! なぜ、だれが、この美しい風を止めたのか!
この国の政治・行政は当事者たちの責任のなすりあいや保身のため、いつの時代もやることが後手後手である。それをさせているのも結局は国民全体というほかないのだが......。

(2011.7月 村長 平野)
写真:丹波竜の里(村上鷹夫さん)