「見えるに人には見える」

河童はいるのかと問われると、 決然として 「いる」 と答え、 「見える人には見える」 と言ったという芋銭(うせん)。


泊雲と芋銭
先ごろ発行の 「丹波人物伝」 に収録した市島町の俳人、 西山泊雲は、 精神的に不安定な青年期を過ごした。 文学志向が強く、 雄飛したいという思い。 一方での、 酒造場の跡取りとしての宿命。 そのはざまで苦悶し、 家出を試みたり、 自殺未遂事件も起こした。 ▼そんな泊雲を救ったのが俳句との出合いだった。 「自分にとって宗教のようなもの」 と書いている俳句によって心の平安を得た泊雲は、 父祖伝来の酒造業を守り継ぎながら、 手近なものを写生する俳句に打ち込んだ。 丹波に生まれ、 丹波で没した。 ▼泊雲と親交のあった画家、 小川芋銭 (うせん) は、 泊雲が踏みとどまった丹波の地を好み、 たびたび丹波を訪ねた。 9カ月間も長期滞在し、 泊雲の家近くの石像寺の一室を画室にして、 制作に励んだこともあった。 ▼芋銭は、 日本の近代化の過程の中で切り捨てられ、 ふるい落とされていった素朴な人間の生活や自然観を、 作品の中に投影した。 「河童の芋銭」 の異名があるほど、 芋銭と言えば河童図だが、 河童はそんな自然観の象徴だったと言えるかもしれない。 ▼河童はいるのかと問われると、 決然として 「いる」 と答え、 「見える人には見える」 と言ったという芋銭。 芋銭も泊雲も、 丹波で河童を見たのだろうか。 泊雲と芋銭との河童談義を空想すると、 何とも楽しい。(Y)

丹波新聞(丹波春秋)より  2014年06月08日

コメント:いいね、そんなもだねぇ。逆もまた真なり。見えない人には見えない、何であれ。