「自由で幸福な一生を送る人は、みなこのくせを持っています」 

昔々、週末農業を姫路郊外の農業公園で始めたばかりの時。春先に種ジャガイモをナイフで半分に切り、切口に灰をつけて畑に植えた。

梅雨入りの頃、同じようにサツマイモを植えようとしたら、「芋を持って帰んな」と、そばで見ていたおじいさんが笑った。
「えっ、どうして?」
「サツマイモはなァ、芋のツルを植えるんや」
いくらマニュアル嫌いとはいえ恥ずかしい限りの初歩ミスだった。
世間はいまiPSだ、STAPだと喧しいが、ぼくの意識はジャガイモの成長に関心がある。この春先は寒さが長引きジャガイモを植える時期が半月以上伸びたからだ。また万能細胞やDNAや脳の仕組みがいかに解明されようとも、意識とは何ぞや、という命題は解けないからだ。つまり、記憶が脳のどこに保存されるのかといったコトより、ジャガイモの生育などに一喜一憂する意識そのもののナゾにぼくの関心は向く。
GOは、考え方(意識)のクセについて書いている。

「彼(フランクリン)はいつも物事のよい面ばかりを見、すべてを愛し、自分については欠点ばかり見て―― つまり自己批判―― 行くのがくせです。このくせは大切なくせです。自由で幸福な一生を送る人は、みなこのくせを持っています。その反対に、物のくらい面ばかりを見、すべてにけちやぐちをいい、他人のことについては、あれこれというが、自分のことについては考えてもみずに、自分の自慢話や、いいわけばかりする人は、きっと不幸で不自由な一生を送る人です」(『永遠の少年』)

万能細胞ができるなら、自由で幸福な一生を送れる“万能意識”というのもできてよさそうなものだが、そうは問屋の神様が卸さないから人生はおもしろいのかもしれない。
問屋の神様は、人を大いに悩ませる自意識を持たせることで成長させようとしたに違いない。煩悩があるから成長もする、と。仏教ではそれを煩悩即菩提と言うが、GOの言う自由人とは、この煩悩(意識)と遊べる達人を意味するのだろう。
いや、それにしてもぼくのマニュアル嫌いのクセはどうにかならんものか。

永遠の少年GO(No.14)・平野隆彰
「Macrobiotique 2014年6月号」より(日本CI協会発行)
註:GOとは・・・ジョージ・オオサワこと桜沢如一。