農耕民と遊牧民と・・・

毎年のことだが、この連休中は田畑の仕事に忙しく、どこにも出かけることはできそうもない。

農の営みは比較的暇な季節もあるけれど、探せばやることは一年中ある。野良仕事は土日だけと決めているのでなおさら仕事はたまってくる。スケジュール表に予定を書きこまなくても、畑に出たら次はこれ、次はあれをと作業が勝手に追いかけてくる。この2日間で24時間ほど働いた。そのうち5、6時間は草刈作業、これから9月末までの5か月間はこの作業に追い立てられる。その合計をざっと計算してみると、甲子園球場の1.5~2倍ほどの広さを草刈している。平坦地ばかりならいいが、土手の傾斜地も多いから夏場はとくにキツイ。かといって効率のよい除草剤を使う気にはなれない。

生産効率ばかりを言っていたら、百姓などやっていられない。自然相手の効率の悪いところに、むしろ面白さがある。種の発芽から生育や収穫を喜び、汗をぬぐいながらふと手を休めたとき、自足感や自由を感じる。百姓らしい百姓の赤峰さんが「ニンジンから宇宙へ」と言ったように、畑の真ん中に自由な宇宙があると思うことがある。またその一方で、時間の多くを畑にしばられていると感じることもある。

放浪生活に憧れていた若い頃は、狭い土地に執着する農耕民よりも広々とした空間に暮らす遊牧民がカッコいいように思われた。ここで遊牧民と言うのはあくまで比喩だが、いずれにしろ考えてみれば、遊牧民にしたって、その生活スタイルにしばられていることに変わりはない。誰しも生きるために食うか、食うために生きなくてはならないのだから。
世間ではこの連休中に海外に出かけるグローバルな遊牧民も多いようだが、すべてに余裕のない農耕民であるぼくは、半ば負け惜しみ雑じりの本音をひとり呟いている。
「畑こそ自由で広々とした我が宇宙だ。人混みのする場所に出かけたいとも思わない」と。

5月3日は「れんげ祭りで、翌日4日は田植え。と言っても、田植えをしない「布マルチ栽培」という方法だ。「農家の機械貧乏」という言葉があるように、米作りにはトラクターをはじめ高価な機械がいろいろ必要だが、小さな田んぼであるし、これなら機械なしでも何とかできそうだ(ただし脱穀だけは頼まないといけない)。初めて米作りをすることで、やっと百姓らしくなれるかもしれないと喜んでいる。村長