「正夢をチョイチョイ見るようになりました」

ユメを見た。後頭部にソフトボール大の穴が開いて、脳みそがいまにも飛び出しそうだった。

自分で見えるはずがないのに見える。
「この間プールで泳いだときスイミング帽をかぶっていたから脳みそが流れなかったんだ。でも早く穴を塞がないと・・・」
目覚めたとき忘れないうちに「ホラ、頭の穴から記憶がこぼれているだろう」とカミさんに言うと、「思い出を共有できないのはそのせいだったね」と軽くあしらわれた。
GOは「とりとめないユメ」と「正夢」について書いている。

「聖人に夢なし」とか「聖者ユメあれば正夢也」という言葉があります。私は聖者でも聖人でもないからよく下らない夢を見るのですが、時々正夢も見ることがあります。正しい食物を取るようになってから下らない夢はおいおい少なくなり、正夢をチョイチョイ見るようになりました。略。トニカク、「夢を見る」ということや「考える」ということはフシギナことであります。」(『宇宙の秩序』)

少年GOは小説家になるのがユメだったが、トテモなれないと悟り「セメテ翻訳家になりたいと夢を抱きました」とこの後に記している。
赤塚富士夫の漫画『天才バカボン』は、シュールで馬鹿馬鹿しいユメのようなところがたまらず好きだ。バガボンの超天才パパは、赤ん坊のとき小石につまずき頭のネジが一本外れ溝に落ちてしまった。そのため5歳で東大に入れたはずのパパはバカダ大学卒となった。「コレデイイノダ!」と。
ぼくはバカダ大卒ではないが、「頭に穴が開いたユメはアルツハイマーの前兆じゃない。ソレデイイノダ」と、バガボンパパにお告げをもらった気がする。
夢のお告げなどめったにないけれど、『桜沢如一。100年の夢』はそうだった。ユメの勢いで書いた“小説の手前”という意味で、“プレ小説”と表紙に明記するつもりだったが、出版編集者にそんな前例はないと言われしぶしぶ断念した。
熱い血潮のGOが小説家を断念したのは、自ら面白い小説のような正夢に遊んだからだろう。いずれGOの冒険ユメ小説を書く人が現れることを期待したい。

永遠の少年GONo.13)・平野隆彰
「Macrobiotique 20144月号」より(日本CI協会発行)
註:GOとは・・・ジョージ・オオサワこと桜沢如一。