現代文明は、想像力や知性や勇気に恵まれた人を生み出す能力を持たないように思われる。

『人間―この未知なるもの』アレキシス・カレル
「人間とは何か、人生とは何か」を教えてくれる最高の恩書!(訳者・渡部昇一のことば)


「人生五十年」と昔の人は言った。今は平均寿命ははるかに延びており、かくいう私も昔風に言えば還暦を過ぎた。(略)
時間を隔ててみるとますます有難く、後光がさすように感じられる師があり、また、身近においてますます重さを増してくる書物が何冊かあるものだ。
そうした書物の一冊に、アレキシス・カレルの『人間―この未知なるもの』がある。この本との出会いがあったのは大学二年生の時、倫理学を担当された望月光先生のおかげである。(略)
最後の授業時間の時に、望月先生はアレキシス・カレルの『人間――この未知なるもの』をあげ、「この本を読んでわかってくれればそれでよい」という、やや唐突な感じの宣言をなさった。講義のノートは読み返さなくてよいことになったので、さっそく神田に出かけて、桜沢如一氏訳(無双原理講究所刊。 昭和十三年初版、十六年三版)のカレルの本を買ってきた。
(略)
カレルの『人間―この未知なるもの』は一九三五年(昭和十年)に初めて出版されたが、四年後の一九三九年版(昭和十四年)に、彼は特別の序文をつけている。その冒頭において彼は「本書は古くなるにつれてますます時宣(じぎ)を得たもののなるという逆説的運命を持っている」と言っている。これは本を書く人間として言いうる最も幸せな一行であろう。つまり「自分の予言の通りになっているではないか」ということだからである。
カレルの本は西洋文明という、自然科学の発見を含む人類空前の大文明を作った白人が、人間というものを十分知らなかったために、崩壊の危機に瀕している、という危機感から書かれている。カレルは特にフランスとアメリカの当時の情況を念頭に置いていたと思われる。そして彼の願うところは、白人の心ある人たちが、人間をよく知り、白人の退化をとめる方向に努力することであった。その彼の意図は一時的には成功したと思われる。終戦後、上智大学に来たアメリカ人の先生たちでカレルを読んでない人はいないようであった。ドイツでもそのようであった。
(略)
日本も先進国の仲間入りをした今日、本書の中でカレルの述べていることは他人事ではない。現在の自分や、現在の日本を考える場合、多くの重要な視点を与えてくれるのである。カレルの観察や発言(特に最終章)の中には、現在の通念から言うと、少し違った見方ができるのではないとも思われたが、私はもっぱらカレルの原典を忠実に再現することにつとめることにした。最近最も著名な医学教授に、「最新の医学から見て、カレルはどのようなものか」とお聞きしたところ、大筋のところは変わっていないであろう、とのことであった。「人間とはいかなるものか」を科学的に考えたい人には、カレルの本は依然として類書の少ない良書なのである。
(略) 渡部昇一「訳者のことば」より

アレクシ・カレル(Alexis Carrel, 1873年6月28日 - 1944年11月5日)はフランスの外科医、解剖学者、生物学者。1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

以下、本文(57p)より

アメリカ合衆国では、中学、高校、大学の数は増えているのに、知的水準は低いままである。
現代文明は、想像力や知性や勇気に恵まれた人を生み出す能力を持たないように思われる。実際にどこの国でも、責任ある公務に携っている人からの、知的、道徳的素質が低下してきている。
金融や工業や商業の機構は、巨大なものになった。そして、それは本拠地の国の状態ばかりでなく、近くの国々さらには全世界の状況の影響まで受けている。どこの国でも、経済状態と社会状態が非常に早く変化する。ほとんどいたる所で、再び現在の政府のあり方が討議されている。
偉大な民生主義国家は、恐るべき問題に直面していることに気がついた――民生主義の存在そのものに関して直ちに解決を求めている問題である。われわれは、人間が現代文明に大きな望みを託したにも拘らず、それは、つまずきながらたどっている危険な道をうまく導いていけるような、知性と勇気に満ちた人々を育て上げることができなかったことに気づいたのである。人間は頭で作り上げた組織のようには早く育たない。現代国家を危険に陥れるのは、主に、政治的指導者たちが知的、道徳的に劣っていて、無知なことによるのである。
(続く)

断食は人間の組織を純化する(268P)
消化機能の使い方もまた、変わってきている。古くなったパンや強(こわ)い肉のような硬い食物は、もはやわれわれの食卓には出されない。同じように、医者は、あごは硬いものをかみ砕くためにあり、胃は自然の産物を消化するようにできていることを忘れてしまっている。前にも述べたように、子供.たちは主として、柔らかい、すりつぶした、どろどろになった食物と、ミルクで育てられる。そこで、あごや歯や顔の筋肉には、十分に困難な仕事が与えられない。筋肉と消化器官の腺の場合も同様である。食事は頻繁で、規則正しく、豊富なために、人類の生存に重要な役割を果たしてきた適応機能の一つ、つまり食料不足への適応力が不要になる。原始的な生活では、人間は長期間飢えにさらされた。食料不足で飢えることがない時でも、自発的に食物を絶った。どの宗教も断食の必要を強調している。
食物を与えないと最初は飢餓感が起こり、時々神経が興奮し、その後体力がなくなった感じがする。しかしまた、それによって、はるかに重要ないくつかの隠れた現象をもたらす。肝臓の糖と皮下に蓄えられている脂肪が消費され、筋肉と腺の蛋白質まで使われる。すべての器官は、血液と心臓と脳を正常な状態に保つために、自分の体を犠牲にするのだ。断食は人間の組織を純化し、深い変化を与える。
(略)
人間は厳しい気候に身を置き、時には全然眠らなかったり、時には長時間眠ったりし、食事も時には豊かでも、時には欠乏もして、不撓不屈(ふとうふくつ)の努力によって食と住を勝ち取る時、最高の発達を得ることができる。また、筋肉を鍛練し、疲れて休息し、闘い、悩み、幸せを感じ、愛し、憎まなければならない。意志は、交互に緊張したり緩んだりする必要がある。また、仲間の人間と闘い、自分自身とすら闘わねばならない。
胃が食物を消化するために作られているように、人間はこういう生活をするように作られているのだ。適応機能が最もよく働いている時、男らしさも最高に発達する。苦難が神経の抵抗力をつけ健康を促進させることは、観察すれば分かることである。子供の時から知的訓練を受け、ある程度の欠乏に耐え、逆境にも適応してきた人が、肉体的にも精神的にもどんなに強いか、われわれはよく知っている。(270p)

出典: 『人間―この未知なるもの』アレキシス・カレル 渡部昇一訳 三笠書房

コメント:世界的なベストセラーとなった本書は、「古くなるにつれてますます時宣(じぎ)を得たもののなるという逆説的運命を持っている」と、訳者の渡部昇一がカレルの言葉として紹介している。このカレルの予言は当たったと言わざるをえない。
なぜなら、カレルの時代から科学がさらに進歩した現代社会でも、人間とは何かということを知らない・知ろうともしない「想像力や知性や勇気」に欠けた専門家たちが、科学をおもちゃのように扱い、重大事故が起きると「想定外」を連発して言い逃れするからだ。企業利益のためには食品偽装もあとを絶たたず、化学添加物をふんだんに使い・・・・、科学的と称する医療への盲信・・・。
細分化しすぎた分析科学は「総合してはじめて大きな力を持つ」とカレルは言い、そのためにも「科学的観察の対象にはあまり適していない『人間の科学』の深化を求め、環境の再建こそ諸科学の最大の目的だと言っている。カレルの理想からすれば、現代社会はその実現にまだほど遠く、悪い方向で予言は当たっている。

本書で一つ引っかかるのは「優生学は、強い者を永続させるために絶対必要である。優秀な民族は、その最善の要素を増殖しなければならない」(314p)という部分(しかもカレルは長年ロックフェラー研究所ではたらいている!!)。 渡部昇一が「現在の通念から言うと、少し違った見方ができるのではないとも思われたが」というのもこの部分だろうと察する。ただしカレルは、「優生学は優秀な者が弱体化するのを防ぐかもしれないが、限りなく進歩させるのには不十分である」とも言い、厳しい自然環境の中で心身を鍛えることや、「食物の質と量が精神に対して持つ意味」の重要さなども強く説いている。
「人間の価値は、いかに早く、かつ楽々と逆境に対処できるかにかかっている。こういう機敏さは、多くのさまざまな反射作用と本能的な反応を重ねた結果、得られるものである」(349p)。
日本に最初に本書を紹介したマクロビオティックの創始者・桜沢如一が血をたぎらせ特に共感したのは、自己成長には「孤独な鍛錬が必要」といった本書の後半(第8章 人間復興の条件)だろう。”武者修行”と称して世界を渡り歩いた如一自身の行動や著書をみても、弟子たちをあえて裸一貫(獅子の子落とし)で世界に送り出すようなやり方をみても・・・。(2014.3.19) 村長