『メス化する自然 ~環境ホルモン汚染の脅威』より

一部の野生生物に「雌性(メス)化」の徴候が観察され、オスのペニスが著しく小さかったり、奇妙な「性転換」が見られて、オスがメスのように産卵したりしているのだ(p10)。



現在、精子の数の劇的な減少が報告されている。デンマークの研究によれば、過去五〇年間に精子数は半減したという。英国のエジンバラの研究では過去二五年間に二五パーセットの減少、フランスのパリの研究でも同じような減少が伝えられた。これらのデータには反論もあるものの、人間の生殖に不穏な変化が起きていることは、他の研究によっても確認されている。精巣がんや男児の性器異常も、目に見えて増加している。このままの勢いで精子の数が減りつづければ、そう遠くない将来、人類は生殖の危機に瀕すると論じる科学者もいる。その一方で、野生生物に驚くべき異変が現れている。
一部の野生生物に「雌性(メス)化」の徴候が観察され、オスのペニスが著しく小さかったり、奇妙な「性転換」が見られて、オスがメスのように産卵したりしているのだ。がんについても、乳がんや前立腺がんの増加が議論の対象となっている。これらの異変のすべてに共通点が一つある。いずれも女性ホルモン、エストロゲンにさらされた場合に起こりうるのだ。
最近になって、数多くの合成化学物質が「弱いエストロゲン」のような働きをするなど、ホルモンの作用を模倣することが発見された。ホルモンは体内のもっとも強力な化学伝達物質であり、遺伝子に直接作用して細胞の働きをコントロールし、生命維持に欠かせない諸機能を調節する。プラスチックや農薬など多くの工業製品に含まれる化学物質の一部がホルモンになりすまし、生殖や性発達を無作為に攬乱し、ある種のがんの原因となっている可能性を示す証拠がある。さらに恐ろしいことに、私たちは日常生活においてそれらの化学物質を食べ、飲み、呼吸し、皮膚からも吸収している。すべての子供たちは生まれ落ちる前から、いやおうなくそうした化学物質にさらされている(p11)。
(略)
殺虫剤として強い効力を発揮するものは他の種にとっても有害なはずだ、というレイチェルーカーソンの主張は正しかったと認められるようになった。
第一にその持続性だ。DDTは簡単には分解されない。この物質の半減期は約一〇〇年とされ、いったん散布されれば、環境中に長期間残存する。また、いったん動物の体内に入ると、主要な代謝物であるDDDやDDEに形を変えて、組織内に長期間残留する。DDTやその代謝物、分解物は数多い合成エストロゲンと同じく、脂肪に結合しやすい「脂肪親和性」なので、生体の脂肪内に蓄積される。そして、植物や動物の体内に入ると、たちまち脂肪に吸収されてしまう。
また、このような持続性の高さのために、「生物蓄積」あるいは「生物濃縮」と呼ばれるメカニズムによって食物連鎖を通して蓄積が進み、上位の捕食動物になるほど濃度が増していく。たとえば、海に住む徹生物のプランクトンは海水や沈殿物から微量のDDTを吸収する。その量はわずか1ppm程度だろう。そのプランクトンを食べる魚の体内には、より多くの量が蓄積され、10ppmになる。このようにしてDDTの蓄積は食物連鎖をのぼり、上位の捕食者になるほど蓄積量は増えていく。人間はそれらの上位捕食者を食べているのだから、蓄積量ははるかに高くなる。なかには30ppmを超える人々もいる。
持続性や生物濃縮ばかりでなく、DDTは親から子へ、直接に世代を超えて受け継がれていく。人間の場合、子宮内や母乳を経由して母から子へと移動する。(p94)。

出典:『メス化する自然 ~環境ホルモン汚染の脅威』デボラ・キャドバリー 古草秀子訳 解説監修=井口泰泉 集英社(1998)

以下は、「解説」(井口泰泉)より

本国イギリスでは一九九三年に放送され、彼女がいち早く取り上げたことによって環境ホルモンの問題は広く世に知られることになった。また彼女は、この作品で優れた放送番組に与えられる国際的なタイトル、エミー賞を受賞している。日本では一九九六年の秋に、邦題『精子が減ってゆく』としてNHK‐BSで放送された。
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本書はこの番組の製作をもとに、彼女自身がさらに取材を続けた結果を、なんと本人がギックリ腰で動けなかった数力月を利用して一気に書き上げたものである。
(略)
最近、多くの合成化学物質に、弱いエストロゲンの作用が見いだされ、メスのホルモン類似作用をすることが発見された。私たちみんなが食べたり、飲んだりして暴露している化学物質のなかにもエストロゲン作用を持つものがある。しかも、体の中で数時間だけ働く自然のエストロゲンと違い、ホルモン類似化学物質のいくつかは、体の脂肪に蓄積して何年も体内に残留する。
ヒトや動物の生殖異常と、化学物質のなかにホルモン様の働きをするものがあるという発見。この二本の糸はうまくつなぎ合わせることができるだろうか。本書ではこの分野で指導的な役割を果たす科学者たちの生の声を使い、背筋がゾクゾクするようなストーリーを展開している。これは、推理小説のようだが、ひとつ違う点がある。書かれていることは全て事実だということだ。
日本国内では一九九七年五月にNHKの科学番組『サイエンスアイ』が環境ホルモンの研究を紹介、同年十一月にはNHKスペシャル『生殖異変―しのびよる環境ホルモン汚染―』が放映された。九八年になってからもテレビや雑誌による特集は後を絶たない。
本書で扱われている、ホルモン類似の作用をする化学物質は、正確には「内分泌攬乱化学物質」と呼ばれるものだが、九七年五月の『サイエンスアイ』で私たちの研究の一端を紹介したときに、「環境中に放出され、あたかもホルモンのように作用する」ことから「環境ホルモン」なる用語を作った。今ではこの用語も定着しつつある。
環境ホルモンは、ごく最近になって出てきた新たな問題のように思われがちだが、実際にはかなり古くからあった問題を新たな視点でとらえたものである。
(続く)

コメント:本書を読んだとき新鮮な驚きとともに電気ショックのような眩暈がした。解説にもあるように、NHK番組も何度か見た記憶がある。「九八年になってからもテレビや雑誌による特集は後を絶たない」ということだが、最近、この種の番組は作られているのだろうか? 「環境ホルモン」という用語は定着したから、もう人々の関心を呼ばないのだろうか? テレビもテレビ番組もあまり見ないのでわからない(プロ野球が始まるまでは)。