玉子丼よりも高い親子丼である。これは飛び切りの褒美だった。

駅前(加古川駅)のうどん屋に入った。敏子は、子どもにはあまり外食をさせなかったので、Hは、外で何か食べられるだけでも嬉しかった。

しかも、玉子丼よりも高い親子丼である。これは飛び切りの褒美だった。
それに加え、ナイフとフォークを使わずに、丼の御飯を箸で掻きこめると思っただけでも、顔が自然に笑ってしまっていた。
出てきた親子丼は、白い御飯の上の卵の黄色が、これまた実に奇麗だった。
その頃、卵が手に入りにくくなりかけていたので、Hと母親は声を揃えて、
「わあキレイやなあ」と歓声を上げた。
御飯のお米もよかったし、卵も鶏肉も新鮮だったから美味しかった。
でも、Hは「この卵、美味しいのに、卵焼きみたいに固(か)とうなってるのは惜しいな。もう少しふっくらと柔らこうとじたら、もっともっと美味しゅうなるのになあ……」と思った。
Hは、フランス・レストランの調理場でコックさんがやっていたやり方を真似て、自分の家の台所でフライパンを手に、中が半熟の柔らかいオムレツを作っていた。いつもそれは褒められていたから、得意かって料理については少し生意気なところがあった。
「こんな卵でオムレツつくったら美味しいやろなあ。ねえ、卵買うて帰ろうよ」
と母親にねだった。
うどん屋の小母サンは、「大人も新聞もウソつきや」と本書の帯にあるがそれは昔も今も変わらない“真実”だろう。自分の家の裏で飼っている鶏の卵をほめられたので、快く鶏小屋から卵をとってきて、新聞紙に六個包んで手渡してくれた。
産みたての卵は少し温かかったので、「これぼくが抱いて帰る。抱いているとヒヨコになるかな」とHははしやいだ。
「あんまり強く抱くと割れるから気をつけてよ、転んだらあかんよ」と母親にいわれたのに、その後すぐ、Hは駅の階段で転んでしまった。卵の包みを抱いていたので足元が見えなかったのだ。
しまったと思ったとき、すでに新聞紙がぬれていた。なんと二つも割れていた。
母親に「早よう飲まなあかん」といわれ、Hは割れた卵を取り出し大急ぎで啜った。敏子も一つを慌てて吸ったが、手から卵の白身がたれて着物がべタベタになった。親子で卵を啜っているのを、汽車を待っていた人たちが笑いながら見ていたので、恥ずかしかった。
次の週も、Hはお灸を熱がってヒーヒー泣いたあと、母親と一緒に駅前のうどん屋のノレンをくぐった。
「コンニチハ、また来たよ。今日も親子丼や」といいながら椅子にすわったが、そのときHは、これからもしょっちゅうここへ親子丼を食べに来ることになるだろうから、思いきっていってしまおうと、奥の調理場に入って行った。
小母サンは、子どもが入ってきたことに驚いたが、そのチビが、
「卵が固とうならんように、ふわっと柔らこうとじてほしいなあ。それからネギは、長切(ながぎ)りやのうて、斜めに切ってくれるとええんやけど」といったので、さらに仰天した。
「なんやムズカシイこというお客さんやなあ」と小母サンは笑っていたが、Hの注文どおりに作ってくれた。お蔭ですごく美味しくなった。
その次も、お灸で泣いたあと、また駅前の同じ店へ親子丼を食べに入った。
小母サンが出てきて、
「坊(ぼん)、あんたのいうた通りに作ったら、えらい評判ようてなあ。ほんまに礼をいいたいわ」
といった。Hはちょっと得意になって、
「小母チャン。こんど親子丼の絵描いてきたるわ。店に張ったらええやん」といった。
Hは家に帰ってから、画用紙にクレパスで親子丼の絵を描いた。卵の黄身の色が美味しそうに描けたので、自分でも気にいった。
次の加古川行きのとき、駅へ降りるとすぐうどん屋に入り、「帰りにまた寄るわ」といいながら、小母サンに絵を渡した。
帰り道、いつものように、店に寄って親子丼を頼んだら、
「ほんまによう描けてたなあ。これ店に張らせてもろうたら、親子丼の注文が多なると思うわ。きょうのはお礼や、お金はいりませんからね」と小母サンがいった。
敏子は驚いて「子どもの絵でそんなことをされては困ります」とかなり強く断っていたが、結局小母サンの申し出のほうが勝って、親子丼がタダになってしまった。
Hは、一枚の絵が親子丼二杯分に化けたので、「これは二銭糊を売るよりええなあ。そうやこんどはこれにしょう。絵が売れるんやったら、なんぼでも描いたる」と思った。
夏休みが終わった後も一ヵ月、土曜日ごとに加古川の灸院に通った。
毎回ビーピー泣いて、毎回同じように親子丼を食べた。
「大人も新聞もウソつきや」と本書の帯にあるがそれは昔も今も変わらない“真実”だろう。結局Hは、二ヵ月間に七回も熱いのを我慢したのだが、寝小便封じのお灸の効き目は全く現れなかった。
かわいそうに、Hは、その後もずーっと布団に“地図”を描き続けていた。(上巻「地図と卵」p86~89より) 

出典:『少年H』妹尾河童 講談社(1997)

妹尾河童(せのお・かっぱ)
1930年神戸生まれ。グラフィック・デザイナーを経て、1954年、独学で舞台美術家としてデビュー。以来、演劇、オペラ、ミュージカルなど幅広く活躍中の日本を
代表する舞台美術家。[紀伊國屋演劇賞][サントリー音楽賞]「芸術祭優秀賞」[兵庫県文化賞]」ほか多数を受賞。またエッセイストとしても知られ、ユニークな細密イラスト入りの『河童が覗いた~』シリーズの『ヨーロッパ』『インド』など話題のベストセラーの著書も多い。本作品『少年H』は、著者初の小説。(本書の奥付より)

コメント:本書はたしか100万部ものベストセラーになった。出てすぐに上下巻を一気に読んだ。いや、痛快なので読まされたといったほうがよいかも。戦中・戦後の日本社会を子供の目で真正面からジィーと見ているのが面白く、当時の食糧事情もよくわかる。貴重な卵が、戦後から他の食糧品に比べてほとんど値上がりせず、1パック(10個入り)200円程度というのは気味が悪い。
「大人も新聞もウソつきや」と本書の帯にある。それは昔も今も変わらない“真実”だろうが、一方で、本書を批判する著書(『間違いだらけの少年H―銃後生活史の研究と手引き』 中山恒 中山典子 辺境社)も出ている。