豚汁がまだ「おふくろの味」ではなかった時代 ルーツは鹿児島の郷土料理?

薩摩汁が豚汁の原型だと仮定するなら、薩摩汁から豚汁へと名前が変化したのは、一体いつ頃なのだろうか。


JB PRESS(現代ビジネス) 食の研究所>特集>食の源流探訪より

日本で生まれた数々の料理を取り上げてきたこの連載も、今回が最後である。おしまいに、子どもの頃も今も変わらず大好きな一品を取り上げたい。
それは、豚汁だ。かつては母が作ってくれていたこの具だくさんの汁物。一人暮らしするようになってからも、冬になると必ず何度かは作ってきた。
寒い日が数日続いて、冷蔵庫に豚の細切れ肉がいくらか残っていると、これはもう豚汁を作るしかないという気分になる。そこでいそいそと買い物に出かけ、サトイモやらゴボウやらを買い込んでくる。
豚汁に入れる野菜は人によって違うだろうが、私が作るときに必須なのはネギとニンジン、サトイモ、ゴボウ。ダイコンは、冷蔵庫なければ省略で。それに油揚げとこんにゃく。主役の豚肉は、細切れが少しあれば大丈夫。
大量の野菜を切り、こんにゃくや油揚げの下準備を済ませ、大きな鍋を取り出す。豚汁の作り方を見てみると、油で具を炒めずに煮る派と、具を炒めてから煮る派があり、賛否両論あるようだが、私は炒める派だ。少量の胡麻油で材料を軽く炒めてから、水を入れてダシを加えて煮込む。
ちょいちょいとアクを取りつつ、野菜が柔らかくなったら仕上げに味噌を加えて完成。鍋いっぱいに豚汁が出来上がると、それだけで満たされた気持ちになる。
豚汁があれば、あとは白いごはんがあれば十分。野菜や豚肉の脂の甘味を含んだ汁をひと口飲むと、なぜか「ふう」と息がもれる。あの吐息は、安堵の条件反射みたいなものだろう。
おそらく昔の人も同じように、豚汁をすすって、吐息をもらしていたに違いない。だが、その「昔」とは、はたしてどのくらいまでさかのぼれるのだろうか。
あらかじめ断わっておくと、味噌汁と肉という組み合わせ自体は、さほど新しいものではない。
1643(寛永20)年に刊行された、江戸時代初期の代表的な料理書『料理物語』(著者不明)には<汁之部>という章があり、吸い物から味噌汁までさまざまな汁物が紹介されている。そのなかによもぎ汁や人参汁などにまじって、鹿汁や狸汁といった獣肉を使った味噌仕立ての汁も見られる。
ここで簡単に味噌の歴史にも触れておこう。味噌のルーツは一説に、古代中国の「醤(ひしお)」だと言われている。「醤」は、大豆に麹、塩を加えて発酵させたものだ。これが飛鳥時代に中国もしくは朝鮮半島から日本に伝わったとされる。
一方、紀元前の縄文時代にも野生のどんぐりの実を使った味噌らしき発酵食品があったという。そうした独自の発酵食の文化が大陸の影響を受けながら、日本ならではの味噌の味を育んでいったのではないかと言われている。
奈良時代になると、現在に近い味噌が登場する。701(大宝元)年に発せられた大宝律令では、大膳職に「末醤」という大豆の発酵食品の名が記されている。ただ、当時の味噌は豆の粒が残ったもので、おかずやなめ味噌として上流階級に珍重されていた。
現在のように濾した味噌が登場するのは、鎌倉時代のこと。禅宗の僧らによってすり鉢やすりこぎが持ち込まれ、粒の味噌を濾した「濾し味噌」が作られるようになる。水に溶けやすい濾し味噌の登場によって、味噌汁もこの時期に誕生する。
戦国時代には、各地の武将が兵糧として味噌づくりを奨励し、味噌の生産が飛躍的に伸びていった。伊達正宗と仙台味噌、徳川家康と東海地方の豆味噌、武田信玄と信州味噌といったように、名将と味噌の名産地とには、深いゆかりがある。
こうして江戸時代ともなると、味噌屋も登場し、庶民の食卓に味噌が広まり、その調理法も様々に発展していった。

著者:澁川 祐子 Yuko Shibukawa
近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)

続き JB PRESS(現代ビジネス) 食の研究所>特集>食の源流探訪