そこに三尾山があったから

「そこに三尾山があったから。これが決め手」  山崎さん夫妻がこの地を選んだのは、家の南正面に聳える山だった。
山崎春人・和加子夫妻  丹波市春日町下三井庄
開墾から始めたみんなの家づくり

山崎1 「そこに三尾山があったから。これが決め手」  山崎さん夫妻がこの地を選んだのは、家の南正面に聳える山だった。

   「あの山、かっこエエでしょう。春は、辛夷が満開になると山全体が白くなってね」と、春人さん(54)は目を細める。今や、山崎家自慢の山になった。
NPO「日本森林ボランティア協会」の設立から関わってきた春人さんは、森林インストラクターとしての経験が長い。それだけに「三尾山が聳え、周りは雑木が多く残った里山的な風景」にピタッときたようだ。

   阪神淡路大震災では西宮の自宅のマンションも半壊。いつかはと思っていたIターンを、真剣に考え始めたのはそれから。
田舎暮しを求める人は自分なりの思いとイメージを膨らませて物件探しをする。その理想が高ければ高いほど、迷いに迷う。

山崎2 「山林の土地を求めて三和町まで足を伸ばしましたよ。ある土地を買う寸前、水に問題があることが分かってやめました。結局、この土地に決めるまで二年半。イバラやツル、竹が生い茂る山林で、上下水道も電線も通っていなかった」
講師(聖和大学、大阪YMCA)として忙しい春人さんには通勤が問題。
「ここは京阪神の都市部に近いし、そこそこ便利」というのも決め手だった。しかし八百坪もある荒れた雑木林。ふつうの人なら敬遠するところだが、野遊び大好きな夫妻にはそれも望むところ。春人さん主宰の「マリオクラブ」という山野遊び仲間たちと、開墾しながら「みんなのおうち」を建てたかったからだ。

   「むろん設計士や大工さんに頼んで、やれるところはみんなでやろうと。友達のまた友達といった応援隊が毎週のように来て延べ二五〇人ほどかな。子どもたちにも土壁を塗ってもらったりして」

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   引っ越したのは二〇〇二年十一月。建坪二八坪の建物は平屋風だが、仕切りのない二階部屋は「雑魚寝したら四〇人は泊れる」。一階も薪ストーブのある広いリビングを中心に、夫婦の住居より人が集うことを優先した造り。実際、週末や春・夏休みにもなると、「みんなのおうち」は合宿所になる。

   木の枝打ち作業があれば仲間を動員したり、借りた二反の田圃の半分を「ひとり一列」の手植え、収穫も手刈りして分け合う。菜園づくり、山菜摘みとてんぷらパーティ、木工や薪割り、バーベキュー、ザリガニ釣りなど。地元の人たちとも親しく交流しながら、たんばの四季を楽しんでいる。

   ホームペルパーの仕事をする和加子さん(48)にしても、祭りのイベントや丹波県民局のビジョン委員会に参加するなど、地域の活性化に積極的だ。

山崎3 最近、仲間たちと造った石窯もみんなのため。

「ピザは一分で一枚焼ける。この間は一日で八〇枚焼きましたよ。でも生地づくりがたいへん」と、嬉しそうな春人さん。

   一人息子(25)は映画監督を夢見て東京暮し。
   「年に何回か来ていたのに、去年は一度だけ」と寂し気に言う妻に、夫は達観したように言った。
「いいんじゃない。息子には息子の人生がある」

 
春人さんは、このWebで「山野草さんぽ」を連載しています。