明日は死ぬのにもってこいの日か?

三界の狂人は狂せることを知らず、
四生の盲者は盲なるを識(し)らず。
生まれ生まれ生まれ生まれて生(しょう)の始めに暗く、
死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し。


これは空海の有名な詩(「秘蔵宝鑰」)。

人の一生はまさにこのとおりだと思うが、最近ある本の執筆のために安楽死や尊厳死のことなどを調べていると、良くも悪くも延命治療が発達した現代医療のもとでは、「死ぬことのむずかしさ」を痛感させられる。
『介護地獄』という本を読むと、長年の介護に疲れ果てた人たちの多くが、自分がその立場になったら無駄な延命治療は絶対してほしくないと言う。鼻から管をいれた流動食や胃に穴をあける“胃瘻”などもってのほかで、安楽死や尊厳死を望んでいる。しかしその一方で、たとえ植物人間になっても生き続けてほしいと願い、病院の延命治療に感謝している人も少なくない。どんな医療手段をとってもまだ生きる炎が少しでも見えるうちは電源を切るように生命のスイッチを切ることはできない、というのである。その気持ちも痛いほどわかる。医師が家族の要請で患者の命のスイッチを切ったことが裁判沙汰になったりするから、倫理的・法的判断を下すのに医者は慎重にならざるをえない。
どこまでが安楽死か尊厳死なのか、その線引きが難しいけれど、最終的には人それぞれの人生観や哲学に帰着する。ぼく自身は延命治療などもってのほか組で、カミさんには「死ぬときはお遍路に出て野たれ死ぬ」と宣言している。どうやら本気にしているらしく、それも困ったなぁと内心思っているのだが・・・。
『今日は死ぬのにもってこいの日』という本がある。ずばりのタイトルも気に入っているが、その詩がまたとても好きだ。( 2014.2.28 )

今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。

Today is a very good day to die.
Eveng thing is in harmony with me.
Eveng voice sings a chorus with me.
All beauty has come my eyes.
A11 bad thoughts have departed from me.
Today is a very good day to die.
My land is peaceful around me.
My fields have been turned for the last time.
My house is filled with laughter.
My children have come home.
Yes, today is a very good day to die.

出典 『今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド 金関寿夫訳 めるくまーる(1995)

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