健康をおろそかにするということは自分の肉体に対して礼節を欠く

10歳の年齢詐称
「隠居宣言」をした理由のひとつに、精神年齢と肉体年齢のズレを適正なものにすることを上げていましたが、ご自分でそれぞれ何歳ぐらいだと思いますか?


ぼくの場合、精神年齢は常に若いはずだ。だが肉体は精神年齢を超えられない。60歳ぐらいまでは精神年齢と肉体年齢の間にズレはなかったが、70代を迎えて初めて両者のズレを自覚した。冒頭でも書いたが、今までは40歳の時は30歳、50歳の時は40歳、60歳の時は50歳と10歳年齢詐称をしてきた。だが70歳の時になって初めて、精神年齢と肉体年齢のどちらも70歳であることを実感した。これが当り前なのにぼくは大きいショックを受けた。
だが次の瞬間、ぼくはあまりにも肉体に対する関心が低かったことを猛反省させられた。自分という存在を表すのは何か。それは肉体でしかないということに気づいていなかったのである。これは大きい誤算であった。
ぼくは常に肉体の内なる声に従ってきたにもかかわらず、自分の存在を肉体ではなく、精神にあると考えていた。もちろん間違いではないが、肉体の健康をおろそかにしていたことにハタと気づいた。だからこれからのテーマは健康ということだ。健康をおろそかにするということは自分の肉体に対して礼節を欠くことになる。肉体こそ自分にとっての最も大事な愛の対象であることをここで改めて認識する必要があると感じた。
自分が何歳? 5歳とも100歳とも言える。ぼくは自分か幼児であると同時に老人でもあると思っている。このことはヘンリー・ミラーに会った時にもよく似たことを言われた。「君の中には赤ん坊と老人が住んでいる」と。

出典: 『隠居宣言』 横尾忠則 平凡社新書

コメント:『人は成熟するにつれて若くなる』(草思社)というヘッセのエッセーがある。横尾忠則は、老いは「人生の最も充実した時期」であり、その充実した時間をふるに「創造活動=遊び」とすべく70歳を機に「隠居宣言」をして、グラフィックデザイナーの仕事は一切断ることにしたという。できることなら60歳のときにこの宣言をすべきであった、と。
グラフィックデザイナーとして一世風靡した横尾忠則だが、画家としての彼の絵はあまり好きでないという人はもちろんいるだろう。しかしそれはそれとして、ひとりのアーティストの生き方として見ると、本書はなかなか哲学的でおもしろい。「自分の肉体に対して礼節を欠く」という言い方がとてもいい。

健康法として導引術をやり、若いころ食事は肉食中心で甘党だったが、嫌いだった魚や野菜を多く採るようになった。そして、座右の書として貝原益軒の『養生訓』をベッドの横に置いてあり、「寝る時や暇な時、パッとどこか開いて読んだりしているんです。すると、読むだけで、病気が治る場合があるんですよ。あるいは、その病気の対処の仕方がわかったりすることも多いんです」(隠居のつぶやき)というところでは、思わず笑ってしまった。「ボケたらボケたときのこと」、「好き勝手に無邪気にケロリン(異路倫)と生きてもいいんじゃないか」と言いながら、結構ストイックにがんばっているなぁ、と(ストイックは隠居さんの美学ではないと、もちろん本人は否定するが、たゆまぬ努力はしている)。
ともあれこれを読むと、できれば早めに「隠居宣言」をしたいと思う人も少なくないかもしれない。ぼくもその一人である。

付記:「横尾忠則現代美術館」は、丹波から小一時間の西脇市にある。ずいぶん昔に何度か行っているが、近いうちにまた訪ねてみたくなった。